玉電の歴代車両

玉電の歴代車両

 玉川電気鉄道は明治40(1907)年に1,067mm軌間で開通後、1920年に1,372mm軌間への改軌とともに全車両が入れ替えられており、開通から昭和44(1969)年の玉川・砧線廃止までの62年間に、1,067mmの狭軌車両が42両、1,372mmの広軌車両が143両(鋼製車体化で登場したデハ60形、デハ80形デハ87〜108号を含む)の合計185両が在籍しました。
 このページでは、玉電時代に活躍した個性あふれる185両の横顔をご紹介します。なお、1969年以降も世田谷線に在籍した車両は「世田谷線の車両紹介」ページで詳しく紹介しています。


昭和44(1969)年5月11日以降の世田谷線の在籍車両(デハ70形、デハ80形デハ81〜86・104〜107号、デハ150形)の詳細は右のボタンからご覧いただけます。


以下のボタン・車両イラストから各形式の詳細がご覧いただけます。

1,067mm狭軌車両

1,372mm広軌車両

旅客車両





玉電の歴代車両

※1954年にデハ35号がデハ40形に編入、デハ30号がデハ35号に改番







貨物車両



おことわり

  • 狭軌車両は資料や記録が非常に少なく、数少ない写真や当時の公文書類、印刷物などによって大まかに概観できる程度で、車両の詳細は未だ判明していません。当サイトでは以下に示した文献・資料や写真等の内容をもとに推測を交えて掲載しました。今後、新たな資料の発見、公文書類や譲渡先の駿遠電気(現:静岡鉄道)、上田温泉電軌(現:上田電鉄)等に残された資料の解析が進めば、新たな事実の判明によりサイトの内容に誤りが生じる可能性があることをご了承ください。
  • 改軌以降の車両は多くの記録や資料が残されており、事実に基づき概ね体系的に掲載することができました。克明な研究記録をまとめられた諸先輩方に改めて敬意を表します。
  • 掲載している車両イラストはすべてイメージです。
  • 車体色は改軌前の焦げ茶色から、改軌後から1930年頃まではオレンジ色、1935年頃までは臙脂色、その後は緑色と白系のツートン、デハ200形に準じた塗装へと変化していますが、イラストの色は実際とは異なる可能性があります。特にデハ80形登場以前の車体色、貨物車両の車体色はカラー写真が見つからず、当時の証言や着色絵葉書をもとに推測を加えて再現してありますのでご了承ください。