枝光鉄工所で製造された。
オープンデッキとなるなど16〜21号とは設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。
玉川電気鉄道 22〜30号 1922年〜1938年
東京横浜電鉄 22〜30号 1938年〜1942年
東京急行電鉄 デハ1形(デハ7〜15号) 1942年〜1953年

16〜21号の増備車として、1922年9月に登場した木造ボギー車です。1924年6月にかけて9両が枝光鉄工所、蒲田車輛製作所、鶴見木工で製造されました。車両竣工図表上の形式称号は「ボギー客車」で別仕様の車両と同様とされたため、玉川電気鉄道22号形と区分されている資料もあります。
先に登場した16〜21号ではデッキに引戸がつきましたが、この車両からは再びオープンデッキに戻され、全長が若干短くなっています。製造所により側窓とダブルルーフの明かり取りの配置、通風器の種類が異なっており、枝光製は2枚連続窓が5組でガーランド形通風器、蒲田製は3枚連続窓・4枚連続窓・3枚連続窓でトルペード形通風器、鶴見製は3枚連続窓・4枚連続窓・3枚連続窓でガーランド形通風器(上向きに配置)となっていました。
1938年末には22・28〜30号の全長を11,500mmに300mm程度延ばし、デッキに2枚片引戸を取り付ける改造工事が大橋工場で行われました。この改造では前面形状が平面に変更され、パンパー部を除けば16〜21号と似通った顔つきになりました。
16〜21号と同様、当初は電制と手用ブレーキのみ装備されていましたが、1928年に空制装置が取り付けられ、翌年手用ブレーキは撤去されました。また1927年には警笛をフットゴングからホイッスルに変更、1935年には運転速度向上により尾灯が取り付けられました。尾灯は当初はガイコツ形1灯でしたが、1950年前後に埋め込み2灯へ変更されています。
1942年の東京急行電鉄成立による一斉改番により、デハ1形の形式称号が付与され、22号から順番にデハ7〜15号に改番されました。第二次世界大戦後の混乱期まで走り抜きましたが、木造車体の老朽化が進んだことにより、1952年から1953年にかけて鋼製車体化の名目で東急横浜製作所で新製された車体と、種車から流用された台車等一部機器を組み合わせて艤装され、デハ80形に編入されました。なお1952年には鋼製車体化の過程で、オープンデッキのまま残されていたデハ11・12号がそれぞれデハ4・6号の車体に載せ替えられましたが、わずか半年程度でデハ80形に更新されています。
玉電歴史年表から
玉電歴史年表から22〜30号・デハ1形(デハ7〜15号)に関する出来事を抜粋しています。
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22〜24号が入籍
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25〜27号が入籍
22〜24号と同形車だが、窓配置や細部の仕様が若干異なっていた。
25号は蒲田車輛製作所、26・27号は鶴見木工で製造された。
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28〜30号が入籍
22〜27号と同形車で、蒲田車輛製作所で製造された。
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東京横浜電鉄と玉川電気鉄道が合併、同社の玉川線となる
合併時点の資本金は東京横浜電鉄が3,000万円、玉川電気鉄道が1,250万円。
東京横浜電鉄には電動客車52両、電動貨車5両、貨車13両が編入した。
また玉川電気鉄道時代は各支線に路線名が付けられ、渋谷〜天現寺橋間は天現寺線、渋谷橋〜中目黒間は中目黒線、三軒茶屋〜下高井戸間は世田谷線、玉川〜砧間は砧線、玉川〜溝ノ口間は溝ノ口線と呼称されていたが(同社による一部申請資料には天現寺橋〜砧間を玉川線と呼称している例もみられる)、合併前後から軌道線全線の路線名を玉川線に統一している。
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東京急行電鉄成立に伴う車両改番を実施
小田急電鉄、京浜電気鉄道との合併による東京急行電鉄成立に伴い車両番号が整理され、旧玉川電気鉄道の車両は0〜900番代が割り当てられた。
16〜30号がデハ1形デハ1〜15号、36〜45号がデハ20形デハ20〜29号、46〜55号が30形デハ30〜39号、56〜66号がデハ40形デハ41〜51号、71〜75号がデハ60形デハ61〜65号、無蓋貨車8〜20号がト1形ト1〜13号に改番された。
なお申請文書には東京横浜電鉄時代の旧番号に、旅客車は「モハ」、無蓋貨車は「ト」の形式称号が付与されているが、付与された時期は不明。
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集電装置をトロリーポールからビューゲルに取替完了
5月14〜15日に全車両のトロリーポールからビューゲルへの一斉取替えが行われた。
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デハ8号が鋼製車体化、デハ90号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ9号が鋼製車体化、デハ91号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ10号が鋼製車体化、デハ92号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ12号が鋼製車体化、デハ93号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ13号が鋼製車体化、デハ94号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ11号が鋼製車体化、デハ95号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ14号が鋼製車体化、デハ98号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ15号が鋼製車体化、デハ102号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。デハ15号をもってデハ1形の鋼製車体化は完了し、デハ1形は形式消滅した。
主要諸元表
1930年代の車両竣工図表に記載されたデータを掲載しています。
最大寸法 | 長さ11,214mm×幅2,286mm×高さ3,695mm |
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自重 | 15.95t |
定員 | 70(座席38)人 |
客室面積 | 16.57平方メートル |
集電装置 | トロリーポール |
台車 | ブリル76-E1(後にTD-1と呼称) |
駆動方式 | 吊掛式 歯車比64:15=4.27 |
主電動機 | TDK9-C 直流直巻 出力37.3kW |
制御装置 | DB1 K-13 東洋電機 |
ブレーキ装置 | 空気ブレーキ:ウェスティングハウス SM-3 電気ブレーキ:DB1 K-13 |
電動空気圧縮機 | DH-16 |
点灯装置 | 前照灯:2個 標識灯:2個 車内灯:6個(予備灯:3個) 運転台灯:2個 方向幕灯:4個 |
設計最高速度 | 46km/h |
製造所 | 22〜24号:枝光鉄工所 25・30号:蒲田車輛製作所 26・27号:鶴見木工 |