木造車体から川崎車輛で製造された鋼製車体に載せ替えされた。旧車体は江ノ島電気鉄道100形116・117号に活用されたほか、3両分が満州国に渡ったとされる。
東京横浜電鉄 71〜75号 1939年〜1942年
東京急行電鉄 デハ60形(デハ61〜65号) 1942年〜1969年


老朽化した31〜35号の木造車体を鋼製車体に載せ替え、1939年12月に登場した半鋼製ボギー車です。鋼製車体は日本車輌で製造され、台車や主電動機等は31〜35号のものが使用されました。車両竣工図表上の形式称号は「ボギー客車」で別仕様の車両と同様とされたため、東京横浜電鉄71号形と区分されている資料もありますが、あくまで車籍上では31〜35号を引き継いでおり、車両竣工図表上の製造年月は「大正14.1」とされていました。
これまでの玉電の車両スタイルとは一新され、車体が大型化されるとともに大きな窓を備えた軽快なスタイルとなりました。また中扉には車内側にステップが設けられました。
1942年の東京急行電鉄成立による一斉改番により、デハ60形の形式称号が付与され、71号から順番にデハ61〜65号に改番されました。1949年に自動連結器の取付けとともに間接制御化され、台車と主電動機がデハ41〜45号と交換されました。また1957年には運転台横の乗降口を拡張するため客室側に400mm程度移設され、乗務員が運転台から手動で開閉できるよう2枚片引戸とされました。
1960年代以降は砧線での活躍が主となり、1964年には砧線中耕地〜吉沢間の急カーブを2両連結で通過できるよう、デハ61・63号の渋谷方とデハ62・64号の二子玉川園方の連結器を密着連結器に交換し、62-61編成と64-63編成で2両連結運転が可能となりました。なお常に連結運転を行なっていたわけではなく、必要に応じて分割し、玉川線の運用にも入っていました。
1969年5月の玉川・砧線の廃止とともに全車両が廃車となりましたが、営業最終日までの3日間運行された「さようなら玉電」花電車にはデハ65号が抜擢され、有終の美を飾りました。
廃止後に全車両がこどもの国で保管され、保存の道が模索されましたが実現せず、数年で解体され現存しません。
玉電歴史年表から
玉電歴史年表から71〜75号・デハ60形に関する出来事を抜粋しています。
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31〜35号の鋼製車体化が認可
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31〜35号から71〜75号への改番を届出
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東京急行電鉄成立に伴う車両改番を実施
小田急電鉄、京浜電気鉄道との合併による東京急行電鉄成立に伴い車両番号が整理され、旧玉川電気鉄道の車両は0〜900番代が割り当てられた。
16〜30号がデハ1形デハ1〜15号、36〜45号がデハ20形デハ20〜29号、46〜55号が30形デハ30〜39号、56〜66号がデハ40形デハ41〜51号、71〜75号がデハ60形デハ61〜65号、無蓋貨車8〜20号がト1形ト1〜13号に改番された。
なお申請文書には東京横浜電鉄時代の旧番号に、旅客車は「モハ」、無蓋貨車は「ト」の形式称号が付与されているが、付与された時期は不明。
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デハ61〜65号の救助器変更が竣功
取付固定式に変更。
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集電装置をトロリーポールからビューゲルに取替完了
5月14〜15日に全車両のトロリーポールからビューゲルへの一斉取替えが行われた。
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デハ61〜65号への連結器取付け、制御装置・主電動機・制動装置の変更、台車の改造が竣功
主電動機はTDK-524からGE263Aに、制御装置は直接制御器から総括制御器に、制動装置はSME直通制動機からGE非常直通制動機に変更された。
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デハ41〜45号とデハ61〜65号との台車交換が竣功
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デハ61〜65号への前扉の移設・拡張、集電装置の変更が認可
前扉の幅を780mmから1,010mmに拡張し、2枚片引戸とするため運転台直後に戸袋窓を新設、あわせて床面高さを80mm上昇。
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デハ61〜64号の連結器の交換が認可
砧線内の急カーブでの2両連結運転に対応するため、デハ61・63号の2位側(渋谷・砧本村方)、デハ62・64号の1位側(二子玉川園方)がK-2A密着連結器に交換された。
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玉川線・砧線に「さようなら玉電」花電車を運転
デハ65号による花電車が5月10日までの3日間、廃止区間全線を走行した。
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玉川・砧線廃止に伴いデハ30形、デハ40形、デハ60形、デハ200形の全車両、デハ80形の一部が廃車
最終日まで運転されたデハ30形デハ31〜36・38・39号(デハ34号は1968年9月13日から休車)、デハ40形デハ41・42・45・46・48〜52号、デハ60形デハ61〜65号、デハ80形デハ89・91〜94・96・97・99・103・108号、デハ200形デハ201・204〜206号が、営業終了翌日の5月11日付で廃車された。これによりデハ30形、デハ40形、デハ60形、デハ200形は形式消滅した。
なおデハ34号は既に1968年から休車のうえ二子玉川園に展示されていたほか、デハ204号は多摩川園、デハ61〜65号はこどもの国、デハ91号は世田谷区総合運動場、デハ206号は千葉県野田市の清水公園でそれぞれ静態保存されたが、デハ204号以外の車両はその後解体され現存しない。
主要諸元表
東京横浜電鉄時代の車両竣工図表に記載されたデータを掲載しています。
最大寸法 | 長さ13,000mm×幅2,300mm×高さ3,840mm |
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自重 | 16.2t |
定員 | 90(座席32)人 |
客室面積 | 22.5平方メートル |
集電装置 | トロリーポール |
台車 | スイングボルスターペデスタル発條式(後にTD-6と呼称) |
駆動方式 | 吊掛式 歯車比63:15=4.2 |
主電動機 | TDK-524 直流直巻 出力37.3kW |
制御装置 | DB1 K-13 東洋電機 |
ブレーキ装置 | 空気ブレーキ:ウェスティングハウス SM-3 電気ブレーキ:DB1 K-13 |
電動空気圧縮機 | MB DH-16 |
点灯装置 | 前照灯:2個(予備灯:2個) 標識灯:2個 車内灯:10個(予備灯:3個) 運転台灯:2個 方向幕灯:2個 |
設計最高速度 | 46km/h |
製造所 | 71・72号:日本車輌 73〜75号:田中車輛 ※車体は川崎車輌製 |