世田谷線開通100周年 〜農村から住宅地へ、地域の発展を見つめ続けて一世紀〜

世田谷線開通100周年 〜農村から住宅地へ、地域の発展を見つめ続けて一世紀〜

 世田谷で初めての鉄道は、1907(明治40)年に開通した玉川電気鉄道の渋谷〜玉川間でした。その後、1913年に京王電気軌道の笹塚〜調布間が、1924年に玉川電気鉄道の玉川〜砧間が開通しますが、世田谷の中心地にはなかなか鉄道が通りませんでした。
 そこで世田ヶ谷村の名士らが160人の地主に協力を呼びかけ、渋谷〜玉川間に遅れること18年、ようやく1925(大正14)年に開通したのが現在の世田谷線です。1月18日に三軒茶屋〜世田谷間、同年5月1日に世田谷〜下高井戸間が開通しました。
 高度経済成長時期には、多摩田園都市の開発による急激な人口増加を支えるため、渋谷〜二子玉川園間は新玉川線として地下化され、大型車両が行き交うようになりましたが、世田谷線だけは今も2両編成の小型車両が行き交う軌道線として残り続け、今年で開通100周年を迎えました。
 開通時の玉川電気鉄道はその後の合併により東京横浜電鉄へ、さらに東京急行電鉄へと引き継がれ、現在は東急電鉄により運転されています。
 このページでは、100年の節目を迎えた世田谷線のこれまでの歩みを振り返るとともに、今も残る100年前の面影などをこれから順次ご紹介していきたいと思います。

世田谷線開通100周年 〜農村から住宅地へ、地域の発展を見つめ続けて一世紀〜

世田谷線開通100周年 〜農村から住宅地へ、地域の発展を見つめ続けて一世紀〜

 世田谷の最初期の鉄道計画から現在の世田谷線のルートが持ち上がっていたにも関わらず、開通までには紆余曲折がありました。世田谷線開通までの前史を概説します。


世田谷線開通100周年 〜農村から住宅地へ、地域の発展を見つめ続けて一世紀〜

 世田谷線開通当時の沿線は田畑が広がるのどかな農村地帯でした。敷設工事に使用された図面資料から、当時の沿線風景を紹介します。


世田谷線100年のあゆみ

 100年間に世田谷線で起きたさまざまな出来事の中で、ここでは主に路線や停留場・駅(1969年5月10日以前は停留場、5月11日以降は駅と表記)等の動きについてまとめました。
詳しい歴史については「玉電歴史年表」や「世田谷線データベース」もあわせてご覧ください。


  • 玉川砂利電気鉄道株式会社が世田谷〜生田間の軌道敷設を出願

    起点は当時仮免許が交付されていた武相中央鉄道の停車場予定地(現在の世田谷中央病院付近)とされた。


  • 玉川砂利電気鉄道が渋谷〜玉川間・三軒茶屋〜世田谷間の軌道敷設特許を取得

    同特許の命令書は1904年9月27日に一部追加されており、三軒茶屋〜世田谷間についてはその際に追加された可能性もある。


  • 世田谷〜和泉(登戸渡船場)間の軌道敷設を出願


  • 三軒茶屋〜世田谷間の軌道敷設特許廃止願を申請

    現在の世田谷線のルートではなく、三軒茶屋から現在の世田谷通り、ボロ市通りを併用軌道で通る計画だった。


  • 三軒茶屋〜世田谷間の軌道敷設特許を廃止


  • 世田ヶ谷村有志から玉川電気鉄道に「電車線路延長御願」を請願

    大場家当主や世田ヶ谷村長らが沿線の地主160名から軌道敷地の寄付を取り付け、三軒茶屋から横根の陸軍自動車隊(現在の東京農業大学付近)への延伸を請願した。


  • 三軒茶屋〜下高井戸間の軌道敷設を出願


  • 三軒茶屋〜下高井戸間の軌道敷設特許を取得


  • 東京府荏原郡世田ヶ谷村が町制を施行、東京府荏原郡世田ヶ谷町になる


  • 三軒茶屋〜世田谷間の軌道敷設工事施行認可を取得


  • 世田谷〜下高井戸間の軌道敷設工事施行認可を取得


  • 三軒茶屋〜上町間の軌道敷設工事方法変更認可を申請

    申請当初の世田谷停留場を上町停留場に改称し、松陰神社前〜上町間に世田谷停留場を新設するなどの計画変更を行った。


  • 三軒茶屋〜世田谷間2.1km(世田谷線)が開通

    西山停留場、若林停留場、松陰神社前停留場、世田谷停留場が開業した。


  • 上町〜下高井戸間の軌道敷設工事方法変更認可を申請

    八幡前停留場を豪徳寺停留場に、豪徳寺裏停留場を宮ノ坂停留場に、松澤停留場を七間町停留場にそれぞれ改称し、前田停留場を廃止して山下停留場を新設するなどの計画変更を行った。


  • 世田谷〜下高井戸間3.1km(世田谷線)が開通

    上町停留場、豪徳寺前停留場、宮ノ坂停留場、山下停留場、六所神社前停留場、七軒町停留場、下高井戸停留場が開業した。
    これにより現在の世田谷線区間の全線が開通した。


  • 下高井戸停留場について京王電気軌道株式会社と「京王電車停留場の乗降場共用に関する協定書」を交換


  • 荏原郡の全域が東京市に編入、東京府東京市世田谷区になる

    玉川線・砧線が通る荏原郡世田ヶ谷町、駒沢町、玉川村、松沢村はいずれも世田谷区の区域となった。


  • 西山停留場を西太子堂停留場に改称


  • 若林停留場を玉電若林停留場に改称


  • 山下停留場を玉電山下停留場に改称


  • 玉電若林停留場の駅業務を開始


  • 松陰神社前停留場の駅業務を開始


  • 世田谷停留場の駅業務を開始


  • 宮ノ坂停留場を休止


  • 宮ノ坂停留場を廃止

    現在の宮の坂3号踏切道付近にあった。下りホーム跡を通る道路が若干高くなっており、当時の面影を見ることができる。


  • 【月日不詳】玉電山下〜下高井戸間を単線化

    ※実施月日が不詳のため、年末である12月31日で登録しています。
    撤去されたレール・電車線等の資材は相模鉄道神中線西横浜〜海老名間の複線化に使用される計画だった。六所神社前・七軒町停留場に交換設備が設置され、票券閉塞とされた。同区間は戦後複線に復された。


  • 豪徳寺前停留場を移設、宮ノ坂停留場に改称

    現在の上町3号踏切道付近から、現在の宮の坂駅の位置に移設された。移設前の停留場跡は現在も鉄道用地となっており、当時の面影を見ることができる。


  • 西太子堂停留場の駅業務を東急弘潤会に委託

    同年5月6日に設立された財団法人東急弘潤会が、東急線の駅業務や売店、食堂等の運営を担った。


  • 宮ノ坂停留場の駅業務を東急弘潤会に委託


  • 世田谷停留場の駅業務を東急弘潤会に委託


  • 三軒茶屋停留場の駅業務を東急弘潤会に委託


  • 六所神社前停留場を移設、玉電松原停留場に改称

    現在の山下4号踏切道付近から、現在の松原駅の位置に移設された。移設前の六所神社前停留場上りホーム跡にはコンクリート基礎が残っており、当時の面影を見ることができる。


  • 七軒町停留場を廃止

    現在の松原1号踏切道付近にあった。上りホーム跡は現在も鉄道用地となっており、当時の面影を見ることができる。


  • 上町変電所が使用開始


  • 西太子堂停留場の駅業務を廃止


  • 玉電若林停留場の駅業務を東急弘潤会に委託


  • 松陰神社前停留場の駅業務を東急弘潤会に委託


  • 上町停留場の駅業務を東急弘潤会に委託


  • 世田谷停留場の駅業務を廃止


  • 宮ノ坂停留場を宮の坂停留場に改称


  • 西太子堂〜若林間の西太子堂5号踏切(若林踏切)を交通信号連動型に変更

    環状7号線の通行量増大により遮断棹を撤去し、列車と自動車がともに交通信号の制御に従って通行されるよう変更された。


  • 【日不詳】上町車庫の建設開始

    ※実施日が不詳のため、月末である31日で登録しています。
    上町停留場下りホームが現在の検車庫付近から、三軒茶屋方の現在の位置に移設された。


  • 玉川線三軒茶屋〜下高井戸間5.1kmを世田谷線と改称して運行開始

    三軒茶屋駅では5月10日の終電通過後、玉川線との線路を切り離し、ホーム部分を2面1線化する工事が行われた。


  • 玉電若林駅を若林駅に改称


  • 玉電山下駅を山下駅に改称


  • 玉電松原駅を松原駅に改称


  • 三軒茶屋駅仮駅による営業開始

    三軒茶屋・太子堂四丁目地区第一種市街地再開発事業による工事支障に伴い、11月10日終電後に三軒茶屋駅を西太子堂方に約160m移設し、11日初電から三軒茶屋2号踏切道付近(NTT世田谷ビル横)に設置された仮駅により営業が開始された。同時に三軒茶屋1号踏切道は廃止、三軒茶屋2号踏切道は休止となった。


  • 京王線下高井戸駅の橋上駅舎が完成

    世田谷線のりばも大幅に改装され、定期券うりばの建替え、ホーム壁面のリニューアルが行われた。また、橋上駅舎2階のテナント部分は完成時に、世田谷線のホーム・線路上は東急(9店舗)、京王線のホーム・線路上は京王(3店舗)による運営と整理された。


  • 三軒茶屋駅が本設開業

    1992年11月から仮駅での営業となっていた三軒茶屋駅の新駅舎・ホームが完成し、11月15日初電から移転開業した。これにより旧三軒茶屋2号踏切道は三軒茶屋1号踏切道として復活し、新駅まで約50m延伸され、当初の駅から約110m短縮されたことから、三軒茶屋〜西太子堂間の営業キロが0.4kmから0.3kmに、三軒茶屋〜下高井戸間の営業キロが5.1kmから5.0kmに変更された。
    なお起点付近のホーム下には0.2kmポストが設置されているが、これは国道246号線上の玉川線からの分岐部を0kmとしてキロポストが建立されていることによる。


  • 全駅のホーム嵩上げ工事を実施

    2月10日終電後から11日初電前にかけて、全駅のホームを40cm嵩上げする工事が実施された。三軒茶屋駅はジャッキアップ、上町駅上りホームと山下駅上下ホームは木造桁、そのほかの駅は木造桁と発泡スチロールにより施工された。
    初電前に上町3:55発で307編成が三軒茶屋方面、305編成が下高井戸方面にそれぞれ確認試運転により車両限界や停止位置等の確認が行われたあと、11日は初電から定刻通り運転された。


  • 上町駅新駅舎完成、世田谷線管区・雪が谷検車区上町班事務所が駅舎内に移転

    上りホーム入口に3階建ての新駅舎が完成し、2階に世田谷線管区事務所と雪が谷検車区上町班事務所が移転した。仮庁舎として使用された上町車庫旧検車庫は11月にかけて解体され、1999年から始められた一連の上町車庫改良工事が完成した。


玉電時代の詳しい出来事は右のボタンからご覧いただけます。


昭和44(1969)年5月11日以降の世田谷線の詳しい出来事は右のボタンからご覧いただけます。


 このページの制作にあたり、以下の文献・資料、ウェブサイトを参考にさせていただきました。感謝申し上げます。

<参考文献・資料等>

  • 東急株式会社「東急100年史」(2023年)
  • 玉川電気鉄道株式会社「事業報告書」「営業報告書」「報告書」第8期〜第69回(1907年〜1937年)
  • 国立公文書館所蔵 玉川砂利電気鉄道・玉川電気鉄道・武相中央鉄道関係書類
  • 東京都公文書館所蔵 玉川砂利電気鉄道・玉川電気鉄道関係書類
  • 東京市臨時市域擴張部「荏原郡松澤村現状調査」(1931年)

<参考ウェブサイト>