玉川電気鉄道 56〜66号 1928年〜1938年
東京横浜電鉄 56〜66号 1938年〜1942年
東京急行電鉄 デハ40形(デハ41〜51号) 1942年〜1969年

玉川電気鉄道 56〜66号→東京横浜電鉄 56〜66号→東京急行電鉄 デハ40形(デハ41〜51号) 1928年〜1969年

 昭和初期からの乗客数の急増に対応するため、1928年7月に登場した半鋼製ボギー車です。1929年3月にかけて11両が日本車輌で製造され、台車は汽車製造製が採用されました。車両竣工図表上の形式称号は「ボギー客車」で別仕様の車両と同様とされたため、玉川電気鉄道56号形と区分されている資料もあります。
 46〜55号から全長が200mm延長され中扉が設置されましたが、床下機器があるため車内側にステップが設けられず、車外側に折り畳み式のステップが設置されました。ステップの出し入れが発生するため、中扉の使用は多数の乗降が見込まれる特定の停留場に限られました。
 1942年の東京急行電鉄成立による一斉改番により、デハ40形の形式称号が付与され、56号から順番にデハ41〜51号に改番されました。1949年に車体の劣化防止のため側窓が2段下窓上昇式に改造され、1952年には全長を13,000mmに1,000mm程度延ばして定員を100人に増やし、自動連結器の取付けとともに間接制御化する大掛かりな工事が行われました。なお一部車両は台車、主電動機が変更され、1949年にデハ41〜45号がデハ60形と交換、1952年にデハ49〜51号がデハ20形に使用されたものに履き替えられました。また1954年1月には、デハ35号の台車がデハ23号に使用されていたものと交換されたことでデハ40形デハ52号に編入され、デハ40形は12両となりました。
 1964年にデハ150形が登場すると活躍の機会は減り、朝夕に2両編成で使用される程度となったことから玉川線の廃止に先駆けて1968年から廃車がはじまり、1969年5月の玉川・砧線の廃止とともに全車両が廃車となりました。

玉電歴史年表から

 玉電歴史年表から56〜66号・デハ40形に関する出来事を抜粋しています。


  • 56〜61号が運転開始

    日本車輌で製造された。同年7月に入籍したとする資料もある。
    再び中扉が設けられるなど設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。


  • 62〜66号が入籍

    56〜61号と同形車で、日本車輌で製造された。


  • 東京横浜電鉄と玉川電気鉄道が合併、同社の玉川線となる

    合併時点の資本金は東京横浜電鉄が3,000万円、玉川電気鉄道が1,250万円。
    東京横浜電鉄には電動客車52両、電動貨車5両、貨車13両が編入した。
    また玉川電気鉄道時代は各支線に路線名が付けられ、渋谷〜天現寺橋間は天現寺線、渋谷橋〜中目黒間は中目黒線、三軒茶屋〜下高井戸間は世田谷線、玉川〜砧間は砧線、玉川〜溝ノ口間は溝ノ口線と呼称されていたが(同社による一部申請資料には天現寺橋〜砧間を玉川線と呼称している例もみられる)、合併前後から軌道線全線の路線名を玉川線に統一している。


  • 東京急行電鉄成立に伴う車両改番を実施

    小田急電鉄、京浜電気鉄道との合併による東京急行電鉄成立に伴い車両番号が整理され、旧玉川電気鉄道の車両は0〜900番代が割り当てられた。
    16〜30号がデハ1形デハ1〜15号、36〜45号がデハ20形デハ20〜29号、46〜55号が30形デハ30〜39号、56〜66号がデハ40形デハ41〜51号、71〜75号がデハ60形デハ61〜65号、無蓋貨車8〜20号がト1形ト1〜13号に改番された。
    なお申請文書には東京横浜電鉄時代の旧番号に、旅客車は「モハ」、無蓋貨車は「ト」の形式称号が付与されているが、付与された時期は不明。


  • 集電装置をトロリーポールからビューゲルに取替完了

    5月14〜15日に全車両のトロリーポールからビューゲルへの一斉取替えが行われた。


  • デハ35号がデハ52号に改番、デハ30号がデハ35号に改番

    主電動機、台車の交換と同時に改番され、デハ30形からデハ40形に編入された。同時にデハ30号がデハ35号の番号を継承した。


  • デハ37号、デハ43・44号が廃車

    玉川・砧線廃止の方針が浮上してきたことから、余剰車両の廃車が開始された。軌道線の旅客車両の廃車は1946年4月のデハ27号以来となった。


  • デハ47号、デハ98・101号が廃車


  • 玉川・砧線廃止に伴いデハ30形、デハ40形、デハ60形、デハ200形の全車両、デハ80形の一部が廃車

    最終日まで運転されたデハ30形デハ31〜36・38・39号、デハ40形デハ41・42・45・46・48〜52号、デハ60形デハ61〜65号、デハ80形デハ89・91〜94・96・97・99・103・108号、デハ200形デハ201・204〜206号が、営業終了翌日の5月11日付で廃車された。これによりデハ30形、デハ40形、デハ60形、デハ200形は形式消滅した。
    なおデハ34号は二子玉川園、デハ204号は多摩川園、デハ61〜65号はこどもの国、デハ91号は世田谷区総合運動場、デハ206号は千葉県野田市の清水公園でそれぞれ静態保存されたが、デハ204号以外の車両はその後解体され現存しない。


主要諸元表

1930年代の車両竣工図表に記載されたデータを掲載しています。

最大寸法長さ12,086mm×幅2,284mm×高さ3,656mm
自重15.95t
定員88(座席32)人
客室面積17.71平方メートル
集電装置トロリーポール
台車スイングボルスターペデスタル発條式(後にTD-4と呼称)
駆動方式吊掛式 歯車比66:14=4.71
主電動機MB50-NR 直流直巻 出力44.8kW
制御装置KR-20 三菱電機
ブレーキ装置空気ブレーキ:三菱電機 SM-3
電気ブレーキ:三菱電機 KR-20
電動空気圧縮機MB DH-16
点灯装置前照灯:2個(予備灯:2個) 標識灯:2個 車内灯:8個(予備灯:3個) 運転台灯:2個 方向幕灯:2個
設計最高速度46km/h
製造所日本車輌