玉川電気鉄道 電動貨車1〜5号 1920年〜1938年
東京横浜電鉄 電動貨車1〜5号 1938年〜1941年

玉川電気鉄道・東京横浜電鉄 電動貨車1〜5号 1920年〜1941年

 1920年9月の1,372mm軌間への改軌に合わせ、5両が旅客車両と同じ名古屋電車製作所で製造されました。車両竣工図表上の形式称号は「四輪電貨」で、旅客車両・無蓋貨車と区別するため、当サイトでは電動貨車1〜5号と記載しています。1,067mm軌間の時代は旅客車両が貨車を牽引しており、玉川電気鉄道で初めての電動貨車となりました。
 旅客車両の1〜15号と同じブリル21-E台車を履いた有蓋形の木造四輪単車で、連環式連結器により無蓋貨車を連結して砂利をはじめとした貨物輸送に使用されました。
 1939年上旬頃に貨物輸送が終了したため電動貨車は不要となり、全車が1941年に廃車されました。廃車後は旅客車両の3・4号とともに満洲国の新京交通に譲渡されましたが、その後の行方は不明です。廃車以降、玉川線に電動貨車の配置はなくなりましたが、1943年2月に京浜線から有蓋電動貨車デワ3030形デワ3031号が転入しています。

玉電歴史年表から

 玉電歴史年表から電動貨車1〜5号に関する出来事を抜粋しています。


  • 【日不詳】電動貨車1〜5号が入籍

    ※実施日が不詳のため、月末である30日で登録しています。
    9月の改軌に1ヶ月遅れて、名古屋電車製作所で有蓋の電動貨車として5両が製造された。
    玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号四輪電貨」とされている。


  • 東京横浜電鉄と玉川電気鉄道が合併、同社の玉川線となる

    合併時点の資本金は東京横浜電鉄が3,000万円、玉川電気鉄道が1,250万円。
    東京横浜電鉄には電動客車52両、電動貨車5両、貨車13両が編入した。
    また玉川電気鉄道時代は各支線に路線名が付けられ、渋谷〜天現寺橋間は天現寺線、渋谷橋〜中目黒間は中目黒線、三軒茶屋〜下高井戸間は世田谷線、玉川〜砧間は砧線、玉川〜溝ノ口間は溝ノ口線と呼称されていたが(同社による一部申請資料には天現寺橋〜砧間を玉川線と呼称している例もみられる)、合併前後から軌道線全線の路線名を玉川線に統一している。


  • 電動貨車1〜5号が廃車、新京交通株式会社へ譲渡

    廃車後は5両全車が満洲国新京特別市(現:中華人民共和国吉林省長春市)の新京交通株式会社に譲渡された。
    東急の軌道線ではいったん電動貨車の配置がなくなった。


主要諸元表

玉川電気鉄道時代の車両竣工図表に記載されたデータを掲載しています。

最大寸法長さ6,781mm×幅2,209mm×高さ3,486mm
自重6.81t
積載容量15.74立方メートル
集電装置トロリーポール
台車ブリル21-E
駆動方式吊掛式 歯車比64:21=3.04
主電動機TDK9-C 直流直巻 出力37.3kW
制御装置DB1 K-13 東洋電機
ブレーキ装置手用ブレーキ:米国ホーン・ジャイアント形
電気ブレーキ:DB1 K-13
点灯装置前照灯:2個 車内灯:2個 運転台灯:2個
製造所名古屋電車製作所