蒲田車輛製作所で製造された。
中扉が設けられ、乗降口が3箇所となるなど設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。
玉川電気鉄道 36〜45号 1925年〜1938年
東京横浜電鉄 36〜45号 1938年〜1942年
東京急行電鉄 デハ20形(デハ20〜29号) 1942年〜1953年
世田谷線全線開通直後の1925年6月に登場した木造ボギー車です。ただし世田谷線全線開通を伝える当時の記事では、同年5月の世田谷〜下高井戸間の開通時にはすでに4両の「中出式新造車」が運転を開始しており、この時点では6両が製造中だったとされています。10両が蒲田車輛製作所で製造され、台車は汽車製造製が採用されました。車両竣工図表上の形式称号は「ボギー客車」で別仕様の車両と同様とされたため、玉川電気鉄道36号形と区分されている資料もあります。
この車両もオープンデッキでしたが、初めて中扉が設置され車内側にステップが設けられました。
1942年の東京急行電鉄成立による一斉改番により、デハ20形の形式称号が付与され、36号から順番にデハ20〜29号に改番されました。1943年からデハ22号を除く9両の全長を13,000mmに1,100mm程度延ばし、デッキに2枚片引戸を取り付ける改造工事が行われ、定員は90人に増えました。この際に延長部分は丸屋根とされ、残されたダブルルーフを飲み込む独特の形状となりました。1945年から1946年にかけてデハ25〜27号が当時東急傘下にあった箱根登山鉄道へ譲渡されました。同社ではキキ20形として小田原市内線廃止まで活躍した後、鋼製車体化のうえ長崎電気軌道に再譲渡され、150形として1985年まで運行されました。玉川線に残された車両はその後も活躍しますが、木造車体の老朽化が進んだことにより、1950年から1953年にかけて鋼製車体化の名目で日立製作所、川崎車輛で新製された車体と、種車から流用された台車等一部機器を組み合わせて艤装され、デハ80形に編入されました。
玉電歴史年表から
玉電歴史年表から36〜45号・デハ20形に関する出来事を抜粋しています。
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36〜45号が入籍
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東京横浜電鉄と玉川電気鉄道が合併、同社の玉川線となる
合併時点の資本金は東京横浜電鉄が3,000万円、玉川電気鉄道が1,250万円。
東京横浜電鉄には電動客車52両、電動貨車5両、貨車13両が編入した。
また玉川電気鉄道時代は各支線に路線名が付けられ、渋谷〜天現寺橋間は天現寺線、渋谷橋〜中目黒間は中目黒線、三軒茶屋〜下高井戸間は世田谷線、玉川〜砧間は砧線、玉川〜溝ノ口間は溝ノ口線と呼称されていたが(同社による一部申請資料には天現寺橋〜砧間を玉川線と呼称している例もみられる)、合併前後から軌道線全線の路線名を玉川線に統一している。
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東京急行電鉄成立に伴う車両改番を実施
小田急電鉄、京浜電気鉄道との合併による東京急行電鉄成立に伴い車両番号が整理され、旧玉川電気鉄道の車両は0〜900番代が割り当てられた。
16〜30号がデハ1形デハ1〜15号、36〜45号がデハ20形デハ20〜29号、46〜55号が30形デハ30〜39号、56〜66号がデハ40形デハ41〜51号、71〜75号がデハ60形デハ61〜65号、無蓋貨車8〜20号がト1形ト1〜13号に改番された。
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25号が廃車、箱根登山鉄道株式会社へ譲渡
廃車後は箱根登山鉄道株式会社に譲渡され、キキ20形キキ25号となり小田原市内線で使用された。
箱根登山鉄道への輸送にあたり大橋車庫で仮連結器を設置し、小田急線新宿駅(経堂駅との資料もある)まで陸送のうえ、回送用台車を履き、デユニ1000形に牽引されて小田急線で小田原駅まで回送された。
なお同号はモハ20形201号に改番、再度203号に改番後、1956年6月1日の小田原市内線廃止後は同社板橋工場で三真工業によって鋼製車体化が施されてから長崎電気軌道に再譲渡され、150形153号となり1982年3月7日に廃車された。
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26号が廃車、箱根登山鉄道株式会社へ譲渡
廃車後は箱根登山鉄道株式会社に譲渡され、キキ20形キキ26号となり小田原市内線で使用された。
箱根登山鉄道への輸送にあたり大橋車庫で仮連結器を設置し、小田急線新宿駅(経堂駅との資料もある)まで陸送のうえ、回送用台車を履き、デユニ1000形に牽引されて小田急線で小田原駅まで回送された。
なお同号はモハ20形202号に改番、再度204号に改番後、1956年6月1日の小田原市内線廃止後は同社板橋工場で三真工業によって鋼製車体化が施されてから長崎電気軌道に再譲渡され、150形154号となり1985年4月10日に廃車された。
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27号が廃車、箱根登山鉄道株式会社へ譲渡
廃車後は箱根登山鉄道株式会社に譲渡され、キキ20形キキ27号となり小田原市内線で使用された。
箱根登山鉄道への輸送にあたり大橋車庫で仮連結器を設置し、小田急線新宿駅(経堂駅との資料もある)まで陸送のうえ、回送用台車を履き、デユニ1000形に牽引されて小田急線で小田原駅まで回送された。
なお同号はモハ20形203号に改番、再度205号に改番後、1956年6月1日の小田原市内線廃止後は同社板橋工場で三真工業によって鋼製車体化が施されてから長崎電気軌道に再譲渡され、150形155号となり1985年10月25日に廃車された。
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集電装置をトロリーポールからビューゲルに取替完了
5月14〜15日に全車両のトロリーポールからビューゲルへの一斉取替えが行われた。
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デハ20号が鋼製車体化、デハ87号に改番
日立製作所で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ28号が鋼製車体化、デハ103号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ29号が鋼製車体化、デハ104号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ21号が鋼製車体化、デハ106号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ24号が鋼製車体化、デハ108号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ23号が鋼製車体化、デハ107号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ22号が鋼製車体化、デハ105号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。デハ22号をもってデハ20形の鋼製車体化は完了し、デハ20形は形式消滅した。
主要諸元表
1930年代の車両竣工図表に記載されたデータを掲載しています。
最大寸法 | 長さ11,887mm×幅2,286mm×高さ3,855mm |
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自重 | 15.95t |
定員 | 90(座席30)人 |
客室面積 | 17.81平方メートル |
集電装置 | トロリーポール |
台車 | スイングボルスターペデスタル発條式(後にTD-2と呼称) |
駆動方式 | 吊掛式 歯車比63:15=4.2 |
主電動機 | TDK-505 直流直巻 出力37.3kW |
制御装置 | 複式制御器 東洋電機 |
ブレーキ装置 | 空気ブレーキ 電気ブレーキ |
電動空気圧縮機 | DH-16 |
点灯装置 | 前照灯:2個(予備灯:2個) 標識灯:2個 車内灯:8個(予備灯:4個) 運転台灯:2個 方向幕灯:2個 |
製造所 | 蒲田車輛製作所 |