世田谷線 デハ70形 1943年〜2000年
デハ71〜78号 川崎車輛
デハ70形は戦時中、陸軍関係施設が沿線に多く存在した玉川線の輸送力強化を目的として昭和17(1942)年から製造が開始され、1943年3月に登場しました。全8両が川崎車輛で製造され、戦時中に8両分の車体は完成していましたが、デハ74・75号は戦局の悪化による資材不足の影響で終戦後の1946年に入籍しました(竣功届出は1949年4月13日付)。製造時にはデハ80形となる計画で、実際にデハ71~73号はいったんデハ81~83号として運輸局に申請されています。これは製造直前の1942年5月に玉川電気鉄道と東京横浜電鉄との合併に伴いデハ70形がデハ60形へ改番され、70番台が空いたために変更されたものと考えられます。
登場時はデハ60形とほぼ同じ設計で、前面は3枚窓で方向幕を備え、前照灯は腰部1灯のいわゆる「おへそライト」スタイルでしたが、1950年頃に前照灯を屋根上に移設、あわせて方向幕が撤去され、他の車両と同様に腰部の方向板を使用するようになりました。1968年にはデハ81〜84号が玉川線合理化と輸送力強化対策のため「連結二人乗り」2両連結化改造を受け、片運転台になるとともに向かって左側に車掌の側面監視用に小窓が増設された変則4枚窓になり、印象が更に変わりました。
1969年5月の玉川線廃止により、世田谷線には8両すべてが残りましたが、1978〜1982年に行われた車体更新工事では車体デザインを全面的に一新、前面がデハ80形と同様の対称4枚窓となり張り上げ屋根化され、登場時の面影は側窓の配置でわずかに残る程度となりました。1989年からは前照灯が腰部に移りシールドビーム2灯化され、前面の形態が登場時から数えて6回目の変更となりました。1993年に鉄道線のデヤ3001号とデハ3499号が廃車となると東急最古で唯一の戦前生まれの車両となり、1994~1996年に台車・主電動機の交換によりカルダン駆動となってからも全車両が健在でしたが、300系の導入が決まり、その第一編成に台車を提供するため一足先に1999年3月から廃車が始まりました。最後に残ったデハ77号は2000年12月にひっそりと引退、21世紀を目前にデハ70形は静かにその歴史に幕を下ろしました。
引退後はデハ78号が上町車庫の工事支障のため東急車輛製造横浜製作所で2002年3月まで保管されたほかは全車両がすぐに解体されましたが、2000年8月に廃車となったデハ71号の運転台機器一式が二子玉川の「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」に保存されており、往時を偲ぶことができます。
基本車両編成表
1999年3月17日時点の編成を掲載しています。
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各車両のプロフィール
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主要諸元表
1999年時点のデータを掲載しています。
最大寸法 | 長さ13,960mm×幅2,300mm×高さ3,970mm |
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自重 | デハ71・73・75・77号:18.7t デハ72・74・76・78号:18.5t |
定員 | 100(座席35)人 |
客室面積 | 24.6平方メートル |
集電装置 | PT-52 |
台車 | M台車:TS-332 T台車:TS-332T(運転台側をT台車とする) |
駆動方式 | TD継手式平行カルダン方式 歯車比67:11=6.09 |
主電動機 | TKM-94(TDK8568-B) 直流直巻補極付 定格出力52kW |
制御装置 | 直並列複式制御器 |
ブレーキ装置 | 直通ブレーキ・保安ブレーキ |
補助電源装置 | SIV(デハ71・73・75・77号のみ装備) |
電動空気圧縮機 | HS-5 除湿装置付 |
点灯装置 | 前照灯:2個 尾灯:2個 客室内灯:10個 |
保安方式 | 車内警報装置 |
連結器 | 自動連結器 |
製造所 | 川崎車輛 |