世田谷線 デハ80形 1950年〜2001年

世田谷線 デハ80形 1950年〜2001年

デハ81〜84号 日立製作所
デハ85・86号 東急横浜製作所 デハ87〜90号 川崎車輛

世田谷線 デハ80形 1950年〜2001年

 デハ80形は玉川線で戦後初の新型車両として昭和24(1949)年から製造が開始され、1950年1月に登場しました。1953年までに28両が日立製作所・東急横浜製作所(1953年2月から東急車輛製造(現:総合車両製作所))・川崎車輛で製造されましたが、このうち完全な新造車はデハ81~86号の6両のみで、その他は木造のデハ1形・デハ20形の鋼製車体化名目で製造され、台車等の一部機器が流用されていました。ちなみにデハ85・86号は総合車両製作所の前身、東急横浜製作所で初の新造車両といわれています。
 車体は曲線を多用したヨーロピアンスタイルで、窓の大きな軽快なデザインは戦後に登場した路面電車用車両の中でも名車と称され、戦後玉川線では最大勢力を誇り、高度経済成長時期の玉電の顔として活躍しました。1968年にはデハ81〜84号が玉川線合理化と輸送力強化対策のため「連結二人乗り」2両連結化改造を受け、片運転台となった一方、鋼製車体化車両の廃車が開始されました。
 1969年5月の玉川線廃止により、世田谷線には新造車のデハ81〜86号と鋼体化車両のデハ104~107号(世田谷線残存時にデハ87~90号に改番)の10両が残りました。1970年にはデハ85・86号が「連結二人乗り」改造を受けますが、他の入出場時に相棒として組成できるよう両方の運転台が残されました。また当時、世田谷線は朝ラッシュ時に最大8編成16両が必要のところ、22両在籍していたため、余剰となっていたデハ87~90号が1970年に江ノ島鎌倉観光(現:江ノ島電鉄)へ譲渡されました。この4両は世田谷線ではわずか1年弱の活躍となり、「連結二人乗り」改造を受けず、玉電時代のツートンカラー塗装のまま各車1名ずつ車掌が乗務して運行されました。
 残った6両は1978〜1981年に原形の雰囲気を残した形で車体更新工事が行われ、1994〜1997年に台車・主電動機の交換によりカルダン駆動となりましたが、300系と入れ替わりに1999年10月から廃車が始まりました。最後に残った82-81編成は引退を記念して2000年12月から玉電時代のツートンカラー塗装で運転され、2001年1月に大雪の中行われたさよなら運転で多くの人々に見送られながら、51年間の活躍に終止符を打ちました。

世田谷線 デハ80形 1950年〜2001年

 なお江ノ島電鉄で活躍したデハ87号(江ノ電601号)は、1990年に宮の坂駅前に建設された宮坂区民センターで保存されているほか、デハ88号(江ノ電602→651号)も江ノ島駅近くにある和菓子屋「扇屋」の店先に前頭部のみ保存されており、現在でもデハ80形の姿を今に伝えています。

基本車両編成表

1999年8月10日時点の編成を掲載しています。
※デハ85・86号は他車両の検査がない時期には86-85編成で運転されました。

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世田谷線 デハ80形 1950年〜2001年

各車両のプロフィール

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主要諸元表

デハ81〜86号の1999年時点のデータを掲載しています。

最大寸法長さ13,960mm×幅2,310mm×高さ3,900mm
自重デハ81・83・85・86号:19.8t
デハ82・84号:19.7t
定員100(座席32)人
客室面積25.43平方メートル(デハ85・86号は23.7平方メートル)
集電装置PT-52
台車M台車:TS-332 T台車:TS-332T(運転台側をT台車とする ※デハ85号は下高井戸方、デハ86号は三軒茶屋方)
駆動方式TD継手式平行カルダン方式
デハ81〜84号:歯車比67:11=6.09
デハ85・86号:歯車比66:15=4.4
主電動機TKM-94(TDK8568-B) 直流直巻補極付 定格出力52kW
制御装置直並列複式制御器
ブレーキ装置直通ブレーキ・保安ブレーキ
補助電源装置SIV(デハ81・83・85・86号のみ装備)
電動空気圧縮機DH-25
点灯装置前照灯:2個(デハ85・86号は4個) 尾灯:2個(デハ85・86号は4個) 客室内灯:10個
保安方式車内警報装置
連結器自動連結器
製造所デハ81〜84号:日立製作所
デハ85・86号:東急横浜製作所