1938年11月1日から東京都(当時の東京市)に経営が委託されていたが正式に譲渡された。東京都交通局により運行され、渋谷橋〜中目黒間(8系統:中目黒〜築地間)は第一次都電撤去として1967年12月10日付、渋谷駅前〜天現寺橋間(34系統:渋谷駅前〜金杉橋間)は第四次都電撤去として1969年10月26日付で廃止された。
玉電歴史年表 明治29(1896)年〜昭和44(1969)年5月11日
玉電の歴史の始まりは諸説はありますが、当サイトでは明治29(1896)年7月15日に玉川電気鉄道が渋谷〜溝口間の軌道敷設を出願した日を起点としました。紆余曲折を経て1907年に開通を迎え、玉川電気鉄道から東京横浜電鉄、東京急行電鉄による運営に変わり、新玉川線と首都高速道路3号線の建設に伴って廃止された昭和44(1969)年5月11日までの出来事を年表形式でまとめました。
なお本年表では乗降場を「停留場」と表現しています(世田谷線移行後は現在の駅名標に合わせて「駅」と表現しています)。
昭和44(1969)年5月11日以降の世田谷線の出来事は右のボタンからご覧いただけます。
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東横百貨店前〜天現寺橋間、渋谷橋〜中目黒間の東京都への譲渡を申請
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運賃改定を実施(2円均一乗切制)
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東横百貨店前〜天現寺橋間、渋谷橋〜中目黒間の東京都への譲渡が許可
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東横百貨店前〜天現寺橋間、渋谷橋〜中目黒間を東京都に譲渡
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運賃改定を実施(3円50銭均一乗切制)
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東京急行電鉄が再編
過度経済力集中排除法に基づき、小田急電鉄株式会社、京浜急行電鉄株式会社、京王帝都電鉄株式会社が経営分離された。
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運賃改定を実施(7円均一乗切制)
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宮ノ坂停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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西太子堂停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
同年5月6日に設立された財団法人東急弘潤会が、東急線の駅業務や売店、食堂等の運営を担った。
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デハ71〜73・76〜78号への制御装置の変更が竣功
直接制御器から総括制御器に変更された。
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松陰神社前停留場への渡り線設置を届出
輸送力増強のため、分岐器は二子玉川停留場から流用、松陰神社前1号踏切道〜2号踏切道の間に設置された。
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世田谷停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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駒沢停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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デハ74・75号への連結器取付け、制御装置・主電動機・車軸・制動装置の変更が竣功
主電動機はTDK-31SMからGE263Aに、制御装置は直接制御器から総括制御器に、制動装置はSME直通制動機からGE非常直通制動機に変更された。
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デハ30〜39号の救助器変更が竣功
取付固定式に変更。
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三軒茶屋停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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デハ71〜73・76〜78号への連結器取付けが竣功
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デハ71〜78号の救助器変更が竣功
取付固定式に変更。
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デハ61〜65号の救助器変更が竣功
取付固定式に変更。
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デハ41〜51号の救助器変更が竣功
取付固定式に変更。
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デハ20〜24・28・29号の救助器変更が竣功
取付固定式に変更。
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集電装置をトロリーポールからビューゲルに取替完了
5月14〜15日に全車両のトロリーポールからビューゲルへの一斉取替えが行われた。
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デハ1〜6・8〜15号の救助器変更が竣功
取付固定式に変更。
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七軒町停留場を廃止
現在の松原1号踏切道付近にあった。上りホーム跡は現在も鉄道用地となっており、当時の面影を見ることができる。
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六所神社前停留場を移設、玉電松原停留場に改称
現在の山下4号踏切道付近から、現在の松原駅の位置に移設された。移設前の六所神社前停留場上りホーム跡にはコンクリート基礎が残っており、当時の面影を見ることができる。
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デハ61〜65号への連結器取付け、制御装置・主電動機・制動装置の変更、台車の改造が竣功
主電動機はTDK-524からGE263Aに、制御装置は直接制御器から総括制御器に、制動装置はSME直通制動機からGE非常直通制動機に変更された。
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デハ83号が入籍
デハ80形の第一陣として、日立製作所で製造された。
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デハ84号が入籍
デハ80形の第一陣として、日立製作所で製造された。
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デハ41〜45号とデハ61〜65号との台車交換が竣功
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デハ81号が入籍
日立製作所で製造された。
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デハ82号が入籍
日立製作所で製造された。
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デハ85号が入籍
東急横浜製作所で製造された。なお同車は戦災復興車の更新等を手掛けていた同製造所の新製車両第1号車といわれている。
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デハ86号が入籍
東急横浜製作所で製造された。
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運賃改定を実施(8円均一乗切制)
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西太子堂・玉電若林・松陰神社前・世田谷・上町・宮ノ坂停留場のホーム延伸を届出
2両運転化により、西太子堂・世田谷・宮ノ坂は三軒茶屋方に、玉電若林・松陰神社前・上町は下高井戸方に延伸された。
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デハ20号が鋼製車体化、デハ87号に改番
日立製作所で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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東京急行電鉄本社が移転
東京都渋谷区大和田町98に移転した。
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三軒茶屋〜二子玉川間の専用軌道化を申請
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デハ46号とデハ87号(旧デハ20号)との台車交換が竣功
デハ46号は主電動機新製、デハ20号は鋼製車体化されデハ87号に改番された。
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上町変電所が使用開始
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上町〜荒玉浄水場間の地方鉄道敷設免許を出願
途中に農大前、三本杉、大蔵、宇奈根駅を設置し、玉川線を鉄道に転換のうえ、地下鉄に乗り入れ都心方面に直通する計画だった。
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デワ3031号を無蓋電動貨車に改造、デト3031号に改番
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デハ74・75号の制動装置の変更、デハ71〜78号への主電動機歯車比の変更が竣功
SME直通制動機からGE非常直通制動機に変更された。
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砧〜狛江間(砧線)の軌道起業廃止を申請
上町〜荒玉浄水場間の地方鉄道免許申請が理由とされた。
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運賃改定を実施(10円均一乗切制)
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玉電ビルを東急会館に改称
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デハ30〜39号への中扉の新設、方向幕の撤去が認可
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弦巻停留場を新町停留場に改称
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砧〜狛江間(砧線)の軌道起業廃止が許可
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デハ6号が鋼製車体化、デハ88号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ4号が鋼製車体化、デハ89号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ49〜51号の車体延長、連結器取付け、方向幕の撤去、制御装置・主電動機・制動装置の変更が認可
主電動機はMB50NRから、デハ21・22・29号のGE263Aに、制御装置は直接制御から総括制御に変更、運転台付近が約1,840mm延長された。また、戦時中撤去されていた一部座席が再設置させた。
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デハ8号が鋼製車体化、デハ90号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ9号が鋼製車体化、デハ91号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ10号が鋼製車体化、デハ92号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ41〜48号の車体延長、連結器取付け、方向幕の撤去、制御装置・主電動機・制動装置の変更が認可
主電動機はデハ41〜46号のみTDK-505またはTDK525からMB50NRに、制御装置は直接制御から総括制御に変更、運転台付近が約1,840mm延長された。また、戦時中撤去されていた一部座席が再設置させた。
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運賃改定を実施(1区間10円)
区間制で1区間10円、2区間15円とされた。運賃境界は三軒茶屋に設定された。
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デハ12号が鋼製車体化、デハ93号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ13号が鋼製車体化、デハ94号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ11号が鋼製車体化、デハ95号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ28号が鋼製車体化、デハ103号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ29号が鋼製車体化、デハ104号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ21号が鋼製車体化、デハ106号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ24号が鋼製車体化、デハ108号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ23号が鋼製車体化、デハ107号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。
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デハ22号が鋼製車体化、デハ105号に改番
川崎車輛で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ20形からデハ80形に編入された。デハ22号をもってデハ20形の鋼製車体化は完了し、デハ20形は形式消滅した。
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デハ2号が鋼製車体化、デハ97号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ30〜39号の車体延長、連結器取付け、制御装置・制動装置の変更が認可
制御装置は直接制御から総括制御に変更、運転台付近が約1,750mm延長された。
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デハ3号が鋼製車体化、デハ96号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ14号が鋼製車体化、デハ98号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ1号が鋼製車体化、デハ100号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ7号が鋼製車体化、デハ99号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ5号が鋼製車体化、デハ101号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。
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デハ15号が鋼製車体化、デハ102号に改番
東急車輛製造で製造された鋼製車体に廃車車両の機器を流用したうえで完成したが、新製車両ではなく車体更新扱いとなった。デハ1形からデハ80形に編入された。デハ15号をもってデハ1形の鋼製車体化は完了し、デハ1形は形式消滅した。
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玉川線全線での2両連結運転が開始
1943年9月21日に渋谷〜中里間での2両連結運転が許可されていたが、各車両への連結器装備、総括制御方式への改造、ホーム延伸、変電所増設などの諸対策を講じたうえで全線に拡大された。
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西太子堂停留場の駅業務を廃止
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デハ35号がデハ52号に改番、デハ30号がデハ35号に改番
主電動機、台車の交換と同時に改番され、デハ30形からデハ40形に編入された。同時にデハ30号がデハ35号の番号を継承した。
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デト3031号による二子玉川園開園記念花電車を運転
3月30日まで運転。
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二子玉川園が営業再開
東急不動産株式会社による運営となった。
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玉電若林停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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二子玉川停留場を二子玉川園停留場に改称
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東急会館の増改築が完成し、東横百貨店西館として開業
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松陰神社前停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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上町停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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玉電中里停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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用賀停留場の駅業務を東急弘潤会に委託
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砧駅の駅業務を東急弘潤会に委託
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デハ201・202号が入籍
デハ200形の第一陣として、東急車輛製造で製造された。
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デハ203・204号が入籍
東急車輛製造で製造された。
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デハ205号が入籍
東急車輛製造で製造された。
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デハ206号が入籍
東急車輛製造で製造された。
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大橋車庫の用賀への移転が決定
現在の世田谷ビジネススクエアの場所に戦前から確保されていた用地への移転が一旦決定したが、新玉川線の計画により同線の車庫を設置することとなり移転は実現しなかった。なお新玉川線の車庫も計画変更により実現していない。
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新玉川線渋谷〜二子玉川園間の地方鉄道敷設免許を出願
1,435mm軌間の新線として、国道246号線の南側に高架線で敷設し、途中に大橋駅、三宿駅、三軒茶屋駅、上馬駅、駒沢グランド駅、桜新町駅、用賀駅、瀬田駅が設置される計画だった。
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都市交通審議会の第1次答申に新玉川線が設定
渋谷駅で営団銀座線と相互乗入れを実施し、浅草〜二子玉川間を結ぶ3号線の一部として答申された。
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デハ71〜78号の集電装置変更が認可
ビューゲルからパンタグラフ(PT-33G)に交換。
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デハ61〜65号への前扉の移設・拡張、集電装置の変更が認可
前扉の幅を780mmから1,010mmに拡張し、2枚片引戸とするため運転台直後に戸袋窓を新設、あわせて床面高さを80mm上昇。
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世田谷停留場の駅業務を廃止
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運賃改定を実施(13円均一)
片道13円、往復25円均一とされ、二子玉川園方面と下高井戸方面の相互間発着の際には乗継券が発行された。また初電から朝6時までは往復20円となる早朝往復割引が設定された。
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新玉川線渋谷〜二子玉川園間の地方鉄道敷設免許を取得
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上町〜荒玉浄水場間の出願取下げを申請
この歴史年表の制作にあたり、以下の文献・資料、ウェブサイトを参考にさせていただきました。感謝申し上げます。
<参考文献・資料等>
- 東京横浜電鉄株式会社「東京横浜電鉄沿革史」(1943年)
- 東京急行電鉄株式会社「東京急行電鉄50年史」(1973年)
- 東京急行電鉄株式会社「新玉川線建設史」(1980年)
- 東急株式会社「東急100年史」(2023年)
- 国立公文書館所蔵 玉川電気鉄道・目黒玉川電気鉄道・東京横浜電鉄・東京急行電鉄関係書類
- 東京都公文書館所蔵 玉川砂利電気鉄道・玉川電気鉄道・東京横浜電鉄・東京急行電鉄関係書類
- 東急バス株式会社・株式会社東急トランセ「東急バス 創立20周年 東急バス 東急トランセ これまでの歩み」(2011年)
- 林順信「世田谷のちんちん電車 玉電今昔」大正出版(1984年)
- 宮脇俊三・宮田道一「世田谷たまでん時代」大正出版(1994年)
- 「東急電車形式集.3」レイルロード・文苑堂東京店(1997年)
- 「鉄道ピクトリアル」電気車研究会(1972年9月号、1985年1月号、1994年12月号、2004年7月号ほか)
- 「鉄道ファン」交友社(1969年1〜4・9月号、1970年7・8月号ほか)
- 運輸日報社「明治運輸史」(1913年)
- 為国孝敏・榛沢芳雄「玉川電気鉄道の変遷と東京西南部地域の変容との関連についての一考察」土木史研究第13号(1993年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/13/0/13_0_221/_pdf/-char/ja - 玉川電気鉄道株式会社「事業報告書」「営業報告書」「報告書」第8期〜第69回(1907年〜1937年)
- 逓信省通信局・電気局「電気事業要覧」第1回〜第14回(1907年〜1922年)
- 大日本帝国内務省大臣官房文書課「統計報告」第24回〜第37回(1910年〜1924年)
- 工業雑誌社「工業雑誌」第19巻第281号(1903年)第21巻第303号(1904年)第22巻第307号(1905年)
- 工談社「工談雑誌」第181号(1905年)
- 堀内猪之助「東急と上田交通」(1979年)
- 長崎電気軌道株式会社「長崎電気軌道100年史」(2015年)
<参考ウェブサイト>
- 「東急株式会社」ウェブサイト https://www.tokyu.co.jp
- 「国立公文書館 デジタルアーカイブ」 https://www.digital.archives.go.jp
- 「国立国会図書館デジタルコレクション」https://dl.ndl.go.jp
- 「東京都公文書館」ウェブサイト https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/
- 「Geoshapeリポジトリ 地理形状データ共有サイト」 https://geoshape.ex.nii.ac.jp
- 「gayasan8560のブログ」ウェブサイト https://ameblo.jp/gayasan8560/
- 「ぽこぺん都電館」ウェブサイト http://toden.la.coocan.jp