5月10日の終電をもって営業運転が終了した。
世田谷線データベース 1969(昭和44)年〜1984(昭和59)年
1969(昭和44)年5月11日に玉川線・砧線の廃止により、三軒茶屋〜下高井戸間5.1kmが世田谷線として再スタートを果たしてから、玉川線の路線を継承した新玉川線が開通し、玉電時代からの旧型車両の車体更新が完了した1984(昭和59)年までの出来事をまとめています。
-   玉川線(渋谷〜二子玉川園間9.1km)・砧線(二子玉川園〜砧本村間2.2km)を廃止
 
-   上町検車区が設立上町貨物停留場の跡地、約1,400平方メートルに留置線4本と検車場、洗車場を備えた上町車庫が設置された。開設以降も1969年末にかけて順次工事が進められ、工事完成まではデハ89・90号の車内が仮の事務所や寝室として使用された。 
 
-   世田谷線管区が発足大橋の玉川線管区が閉区し、上町駅上りホーム入口に世田谷線管区事務所が設置された。 
 
-   玉電若林駅を若林駅に改称
 
-   玉電山下駅を山下駅に改称
 
-   デハ104号をデハ87号に改番
 
-   デハ105号をデハ88号に改番
 
-   デハ106号をデハ89号に改番
 
-   デハ107号をデハ90号に改番
 
-   世田谷線への移行に伴うダイヤ改正を実施玉川線から世田谷線への移行に伴い、5月11日初電から新たなダイヤにより運行が開始された。 
 平日は朝間は8運用で5分30秒間隔、昼間は5運用で8分間隔、夕間は6運用で7分間隔、休日は最大5運用で朝間から夕間は8分間隔とされた。このダイヤは1992年11月の三軒茶屋駅仮設移転時のダイヤ改正まで23年半にわたって使用された。
 
-   玉電代行バス運行開始(渋谷駅東口・南口〜二子玉川園駅〜砧本村間)渋谷〜二子玉川園間(新道経由・旧道経由)、渋谷〜用賀間、渋谷〜上町間、渋谷〜三軒茶屋間、二子玉川園〜砧本村間、砧本村〜渋谷間、砧本村〜目黒間の8路線が運行開始された。玉川線大橋車庫の跡地に建設された乗合バスの大橋営業所を拠点に、新製された116台の長尺車と不動前営業所から転属した40台の計156台が配置、代行バスとして運行された。 
 
-   新玉川線第一期工事のための先行工事開始同年8月から第一期工事(大橋〜三軒茶屋間)が開始された。 
 
-   デハ87・88号が廃車、江ノ島鎌倉観光株式会社へ譲渡5月14日終電後に江ノ島〜腰越間の龍口寺付近から搬入され、極楽寺まで回送された。 
 江ノ電ではデハ87号→601号、デハ88号→602号となり、2両固定編成に改造されて1970年9月1日に入籍した。
 
-   玉川線渋谷停留場跡に「渋谷東急バスターミナル」が完成
 
-   デハ89・90号が廃車、江ノ島鎌倉観光株式会社に譲渡廃車直前には休車となり、上町車庫で係員寝室や検車区仮事務所として使用されていた。実際の廃車日より早く同年夏頃には極楽寺に発送されていたとされる。 
 江ノ電ではデハ89号→603号、デハ90号→604号となり、2両固定編成に改造されて1970年12月5日に入籍した。
 
-   新玉川線第二期工事開始
 
-   運賃改定を実施(40円均一)世田谷線改称後初めての運賃改定が実施され、普通旅客運賃は20円から40円に改定されたが、12月31日までは暫定的に30円とされた。運賃改定は玉電時代の1966年1月20日以来8年半ぶり。 
 
-   運賃改定を実施(70円均一)普通旅客運賃は40円から70円に改定されたが、1976年3月31日までは暫定的に60円とされた。運賃改定は1974年7月以来1年半ぶり。 
 
-   検車業務が上町検車区から長津田車両工場上町班に移管
 
-   新玉川線(渋谷〜二子玉川園間9.4km)が開通開通当初は8500系6両編成が渋谷〜二子玉川園間で折り返し運転され、田園都市線との直通列車は設定されていなかった。 
 
-   玉電代行バス運行終了代行バス4路線の運行は終了したが、併行バス14路線は新玉川線の補完路線として存続した。 
 
-   小児運賃の設定復活玉川線では1945年4月に小児運賃が廃止され、世田谷線もそのままの運賃体系が引き継がれていたが、この日から小児の普通旅客運賃が40円(大人70円)、小児の通勤定期券が1か月1,260円、小児の通学定期券が1か月630円に設定された。 
 
-   デハ83号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。 
 
-   デハ84号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。 
 
-   デハ85号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。 
 
-   営団半蔵門線(渋谷〜青山一丁目間)開通により新玉川線と相互直通運転開始1981年の営団8000系登場までは東急8500系のみでの運行だった。 
 
-   デハ78号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   デハ77号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   運賃改定を実施(大人90円均一)普通旅客運賃は大人70円から90円、小児40円から50円に改定された。運賃改定は1975年12月以来3年ぶり。 
 
-   デハ71号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   デハ86号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。 
 
-   デハ75号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   新玉川線の全列車が田園都市線の直通運転を開始
 
-   デハ76号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   デハ81号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。 
 
-   デハ73号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   田園都市線高津駅前にデハ204号が保存展示展示場所の多摩川園が1979年6月3日に閉園したため高津駅改札前の高架下に移設された。保存展示にあわせて「玉電200形保存記念乗車券」が発売された。「電車とバスの博物館」の開業は2年後の1982年4月3日となる。 
 
-   デハ72号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   新玉川線で営団8000系が営業運転開始
 
-   運賃改定を実施(大人100円均一)普通旅客運賃は大人90円から100円に改定、小児は50円に据え置かれた。運賃改定は1979年1月以来2年ぶり。 
 
-   デハ82号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。 
 
-   デハ74号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。 
 
-   田園都市線高津駅の高架下に「電車とバスの博物館」が開業デハ204号は「電車とバスの博物館」の開業に先立ち、1980年4月4日に高津駅前へと保存展示されていた。 
 
-   世田谷線で初めて車掌を新規養成玉電時代から17年ぶりの車掌の新規養成となった。 
 
-   デハ151号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、片運転台化、側面コルゲーション板の無塗装ステンレス化、方向指示灯(マーカーランプ)撤去、車内デコラ板交換などが実施された。 
 
-   検車業務が長津田車両工場上町班から長津田検車区上町班に移管
 
-   デハ152号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、片運転台化、側面コルゲーション板の無塗装ステンレス化、方向指示灯(マーカーランプ)撤去、車内デコラ板交換などが実施された。 
 
-   デハ153号が車体更新工事を出場東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、片運転台化、側面コルゲーション板の無塗装ステンレス化、方向指示灯(マーカーランプ)撤去、車内デコラ板交換などが実施された。 
 
