玉電歴史年表
電灯供給事業を開始

世田ヶ谷村、駒沢村への電灯供給事業を開始した。その後、1910年5月24日には目黒村、渋谷町へ、1911年6月30日には玉川村、高津村へ、1922年6月10日には向丘村へと事業範囲を拡大していった。

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武相中央鉄道・城南鉄道・武蔵電気鉄道
武相中央鉄道が解散

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玉電歴史年表
玉川電気鉄道本社が移転

東京市渋谷町中渋谷223に移転した。

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1907年世田谷〜和泉
世田谷〜和泉間(登戸線)の軌道敷設を出願

1897年9月に同区間の特許を取得していたが、遅くとも1904年頃には失効または返納していたと思われる。

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1907年玉川〜神奈川
玉川〜神奈川間の軌道敷設を出願

溝ノ口、末長、蟹ヶ谷、日吉、綱島、菊名を経由する計画だった。

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1897年青山〜二子・調布
渋谷〜道玄坂上間0.5km(後に玉川線と呼称)が開通

1,067mm軌間で全線複線。渋谷停留場が開業した。これにより渋谷〜玉川間の全線が開通した。

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玉電歴史年表
大橋に下目黒発電所が完成

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武相中央鉄道・城南鉄道・武蔵電気鉄道
武相中央鉄道が千駄ヶ谷〜小田原間の鉄道敷設免許を取得

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1897年青山〜二子・調布
三軒茶屋〜玉川間6.0km(後に玉川線と呼称)が開通

1,067mm軌間で三軒茶屋〜用賀間は単線、用賀〜玉川間は複線。上馬引沢停留場、駒沢停留場、駒沢新町停留場、用賀停留場、瀬田前停留場、玉川停留場が開業した。

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玉電歴史年表
(狭軌)電動客車1〜10号、無蓋貨車1〜20号が運転開始

開通にあわせて高橋鉄工所、天野工場または豊岡工場で製造されたとされる。電動客車はまず5両が3月5日に東京府の検査を終え、翌日の道玄坂上〜三軒茶屋間の開通と同時に使用を開始し、3月21日に追加の5両が東京市の検査を完了した […]

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