1925年道玄坂〜新宿
道玄坂上〜新宿追分間(新宿線)の軌道敷設を出願

道玄坂上から分岐して、そのまま併用軌道で神宮通りに入り、明治通りに合流して京王線新宿追分駅に接続する計画だった。

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1923年玉川〜溝口
二子橋が完成

玉川〜溝ノ口間の早期開通を目論見、玉川電気鉄道が建設費52万円のうち15万円を負担した。

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玉電36〜45号(デハ20形)
36〜45号が入籍

蒲田車輛製作所で製造された。中扉が設けられ、乗降口が3箇所となるなど設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。

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1925年中目黒〜玉川
中目黒〜玉川間(等々力線)の軌道敷設を出願

祐天寺、碑文谷、柿の木坂、等々力、下野毛を経由する計画だった。

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玉電歴史年表
玉川プールが開場

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1925年砧〜狛江
砧〜狛江間(砧線)の軌道敷設を出願

途中に宇奈根、陣屋、本村、緒方停留場を設置、小田急和泉多摩川駅に隣接して狛江停留場を設置する計画だった。

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1921年三茶〜下高
世田谷〜下高井戸間3.1km(世田谷線)が開通

上町停留場、豪徳寺前停留場、宮ノ坂停留場、山下停留場、六所神社前停留場、七軒町停留場、下高井戸停留場が開業した。これにより現在の世田谷線区間の全線が開通した。

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世田谷線100周年年表
上町〜下高井戸間の軌道敷設工事が竣工

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玉電歴史年表
運賃改定を実施(1区間4銭)

区間制で1区4銭、2区7銭、3区10銭、4区13銭、5区16銭、6区22銭で全線25銭とされた。運賃境界は渋谷町役場前(中目黒線は恵比寿駅前)、渋谷、大橋、三軒茶屋、駒沢、用賀、玉川、世田谷、山下に設定された。

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玉電歴史年表
下渋谷貨物取扱所への引込線設置が認可

貨物列車の一時留置や荷役作業を目的として、新橋〜豊沢橋間に設置された。上り本線から分岐して側線が設置され、渋谷方面からの貨物列車は一旦天現寺橋で折り返してから進入したとされる。

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