開通当初は午前11時までの制限が設けられ、1929年3月1日から終日運転となった。
経過地に駒沢村を追加。
日本車輌で製造された。同年7月に入籍したとする資料もある。再び中扉が設けられるなど設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。
奥沢は後に大岡山に変更、瀬田河原は二子玉川に改称された。
資本金は500万円、本社は玉川電気鉄道本社所在地と同一、社長は玉川電気鉄道専務(代表取締役)の津田興二氏が兼務。