玉川線(渋谷〜二子玉川園間9.1km)・砧線(二子玉川園〜砧本村間2.2km)が営業終了、玉川線(三軒茶屋〜下高井戸間5.1km)は翌日から世田谷線として存続
1969年5月10日
5月10日の終電をもって営業運転を終了し、5月11日付で廃止された。渋谷24:20発二子玉川園行き最終列車はデハ201号、渋谷24:35発大橋行き最終列車はデハ204号で運転され、深夜の渋谷停留場には500人以上が見送り […]
乗合バス大橋営業所が開設
1969年5月7日
玉川線の大橋車庫の一部敷地が玉電代行バスの拠点として整備された。代行バス用に新製された116台の長尺車と不動前営業所から転属した40台の計156台が配置され、整備工場、給油所、洗車場、乗務員宿泊所が整備された。玉川線廃止 […]
東京都市高速鉄道第11号線として都市計画決定
1968年12月28日
建設省告示第3731号により11号線が都市計画決定され、新玉川線は銀座線との相互直通運転の計画を変更し、11号線の一部として建設されることが決定した。