「世田谷線宮の坂駅界隈づくりコンペ」の採用案に基づき、宮の坂駅前に世田谷区立宮坂地区会館(現:宮坂区民センター)が建設され、隣接する宮の坂駅下りホーム上屋の建て替えが行われた。これにあわせ江ノ電で2000形導入と入れ替わりに1990年4月28日付で廃車された601号を里帰りさせて下りホーム隣接地に保存することとなり、7月4日深夜に七里ヶ浜から搬出され、5日早朝に宮の坂に到着、6日から世田谷線の塗装である緑一色に塗られた姿で展示された。
なお本採用案の時点では、世田谷線から地区会館敷地内に線路を引き込み、現役車両を下りホームに向かい合わせで留置可能とする計画だったが実現しなかった。
停留場・駅の変遷
1907年の開通時には渋谷〜玉川間に12停留場が設置されましたが、1927年に玉川〜溝ノ口間が開通した時には46停留場を数えるまでになりました。この頃は玉電はまだ成長期で、沿線の開発による輸送人員の増加が会社の命運を左右する大きな経営課題となっており、沿線利用者の要請を細かく聞き取りながら、需要に応じて停留場の改廃や改称が繰り返されていました。以下の年表の作成にあたっては、太子堂停留場の開業時期、駒沢新町から新町停留場、瀬田前から瀬田停留場への改称時期について資料に辿り着けておらず未収録です。なお、天現寺線の停留場は東京市への委託から譲渡までの間に停留場の改廃が行われていますが、こちらも網羅できていません。
当時の玉電のお客さまは乗客だけではありませんでした。多摩川の砂利輸送を中心とした貨物輸送も担っており、開通当時から渋谷と玉川には貨物ヤードが設置され、砧線の開通後は大蔵停留場を拠点に砂利が出荷されました。その中で2箇所の貨物停留場が設置された記録があります。一つは砧線吉沢〜大蔵間の伊勢宮河原貨物停留場で、大蔵とともに砂利の出荷拠点として使用されました。もう一つは世田谷線の上町貨物停留場で、当時周辺で行われていた区画整理事業の資材輸送のため、現在の上町車庫の場所に設置されましたが、実際には資材輸送に使用されることなく10年ほどで廃止となりました。
「玉電」の愛称の元になった玉川電気鉄道は、1938年に東京横浜電鉄との合併によって消滅しますが、1939年には池尻、中里、瀬田、若林、山下の各停留場に、旧社名の「玉電」が追加されました。改称の理由はわかっていませんが、同時期に省線との連帯運輸が開始されていることから、省線・連絡社線の駅名との重複を避けるためと考えられます。
第二次世界大戦の開戦により戦時色が濃厚になってくると、加減速にかかる電力量削減のため、それまで増設されてきた停留場は一転して削減の方向に舵が切られました。この時に廃止された道玄坂上、大坂上、身延山別院前の各停留場は今もバス停留所としてその名を留めています。停留場の統廃合は1949年の玉電松原停留場の設置でひと段落し、1969年5月に玉電最後の日を迎えました。世田谷線への移行と同時に連絡運輸は廃止となり、若林、山下、松原の各停留場に冠された「玉電」の名称も姿を消しました。
世田谷線となってから各停留場は旅客案内上「駅」との表記に統一されるようになりましたが、玉電時代から一部の停留場の入口看板には「東京急行電鉄 T.K.K. 玉電山下駅 TAMADEN YAMASHITA STATION」などと記載されており、利用者からは「電停」よりも「駅」と呼称されることが多かったと聞きます。当サイトでは、玉電時代は「停留場」、世田谷線移行後は「駅」と表記しています。
年表
玉電歴史年表・世田谷線データベースから停留場・駅関係の出来事を抜粋しています。
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玉電山下駅を山下駅に改称
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玉電松原駅を松原駅に改称
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宮の坂駅下りホーム隣接の宮坂地区会館で江ノ電601号が保存展示開始
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三軒茶屋駅仮駅による営業開始
三軒茶屋・太子堂四丁目地区第一種市街地再開発事業による工事支障に伴い、11月10日終電後に三軒茶屋駅を西太子堂方に約180m移設し、11日初電から三軒茶屋2号踏切道付近(NTT世田谷ビル横)に設置された仮駅により営業が開始された。同時に三軒茶屋1号踏切道は廃止、三軒茶屋2号踏切道は休止となった。
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山下駅上りホーム隣接地にケンタッキーフライドチキン山下店がオープン
山下駅上りホーム裏手の空き地に2階建ての店舗棟が建設され、ケンタッキーフライドチキン山下店(1996年閉店)がオープンした。
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京王線下高井戸駅の橋上駅舎が完成
世田谷線のりばも大幅に改装され、定期券うりばの建替え、ホーム壁面のリニューアルが行われた。また、橋上駅舎2階のテナント部分は完成時に、世田谷線のホーム・線路上は東急(9店舗)、京王線のホーム・線路上は京王(3店舗)による運営と整理された。
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三軒茶屋駅が本設開業
1992年11月から仮駅での営業となっていた三軒茶屋駅の新駅舎・ホームが完成し、11月15日初電から移転開業した。これにより旧三軒茶屋2号踏切道は三軒茶屋1号踏切道として復活し、新駅まで約50m延伸され、当初の駅から約110m短縮されたことから、三軒茶屋〜西太子堂間の営業キロが0.4kmから0.3kmに、三軒茶屋〜下高井戸間の営業キロが5.1kmから5.0kmに変更された。
なお起点付近のホーム下には0.2kmポストが設置されているが、これは国道246号線上の玉川線からの分岐部を0kmとしてキロポストが設置されていることによる。
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全駅のホーム嵩上げ工事を実施
2月10日終電後から11日初電前にかけて、全駅のホームを40cm嵩上げする工事が実施された。三軒茶屋駅はジャッキアップ、上町駅上りホームと山下駅上下ホームは木造桁、そのほかの駅は木造桁と発泡スチロールにより施工された。
初電前に上町3:55発で307編成が三軒茶屋方面、305編成が下高井戸方面にそれぞれ確認試運転により車両限界や停止位置等の確認が行われたあと、11日は初電から定刻通り運転された。
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上町駅新駅舎完成、世田谷線管区・雪が谷検車区上町班事務所が駅舎内に移転
上りホーム入口に3階建ての新駅舎が完成し、2階に世田谷線管区事務所と雪が谷検車区上町班事務所が移転した。仮庁舎として使用された上町車庫旧検車庫は11月にかけて解体され、1999年から始められた一連の上町車庫改良工事が完成した。
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世田谷駅移設に伴い停止位置が変更
世田谷1号踏切道を通る東京都市計画道路補助154号線の道路拡張により、世田谷駅が三軒茶屋方に約10m移設され、3月31日初電から停止位置が変更された。2001年の駅改良工事の際にはすでに道路拡張計画があり、玉電時代からの木造のホーム上屋が唯一残されていたが、同工事の進捗により改築され、同年秋頃までには姿を消した。