1979年1月8日
普通旅客運賃は大人70円から90円、小児40円から50円に改定された。運賃改定は1975年12月以来3年ぶり。
1978年11月27日
東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。
1978年10月4日
東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、張り上げ屋根化、前面左右対称4枚窓化、連結面2枚窓化などが実施された。
1978年8月1日
1981年の営団8000系登場までは東急8500系のみでの運行だった。
1978年5月8日
東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。
1978年3月20日
東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。
1978年1月31日
東横車両電設長津田工場に陸送のうえ、外板張替え、方向指示灯(マーカーランプ)撤去などが実施された。
1977年6月17日
玉川線では1945年4月に小児運賃が廃止され、世田谷線もそのままの運賃体系が引き継がれていたが、この日から小児の普通旅客運賃が40円(大人70円)、小児の通勤定期券が1か月1,260円、小児の通学定期券が1か月630円に […]
1977年4月16日
代行バス4路線の運行は終了したが、併行バス14路線は新玉川線の補完路線として存続した。
1977年4月6日
開通当初は8500系6両編成が渋谷〜二子玉川園間で折り返し運転され、田園都市線との直通列車は設定されていなかった。