大場家当主や世田ヶ谷村長らが地域の地主160名から軌道敷地の寄付を取り付け、三軒茶屋から横根の陸軍自動車隊(現在の東京農業大学付近)への延伸を請願した。
1897年9月に同区間の特許を取得していたが、遅くとも1904年頃には失効または返納していたと思われる。
1896年に軌道敷設を出願した玉川電気鉄道とは別会社。