1968年1月8日
東急では渋谷〜用賀間を国道246号線直下に建設することを要望していたが首都高速道路公団の方針は覆らず、1967年12月24日に同案を取下げていた。この時点でも軌道を平面移設することで玉川線は存続させる計画だった。
1967年11月17日
新玉川線の三軒茶屋〜桜新町間は国道246号線から離れた蛇崩川沿いに高架線で建設する蛇崩川ルートが一旦決定された。また大橋〜三軒茶屋間の建設工事は首都高速道路3号線との同時施行とされた。この時点では、玉川線は廃止せず工事支 […]
1967年6月30日
これによりデト3030形は形式消滅し、砂利輸送を目的に開通した玉川・砧線から電動貨車を含む全ての貨車の配置がなくなった。
1967年6月1日
下高井戸方面を重点としたダイヤ改正、営業・運転関係の現業機関の玉川線管区への一元化、重連二人乗務方式(連結二人乗り)の導入などが実施された。
1966年6月30日
廃車直前は大橋車庫に留置されていた。これによりト1形は形式消滅し、玉川・砧線から貨車(電動貨車デト3031号を除く)の配置がなくなった。
1966年3月19日
二子橋の通行量増大により、併用軌道では正常な運行ができなくなり、鉄道専用橋の二子橋梁が架橋された。
1966年2月1日
環状7号線の通行量増大により遮断棹を撤去し、列車と自動車がともに交通信号の制御に従って通行されるよう変更された。
1966年1月20日
二子玉川園方面と下高井戸方面の相互間発着の際には乗継券が発行された。なお往復運賃は廃止された。
1964年4月24日
東急車輛製造で製造された。玉川線最後の新型車両となった。