1923年玉川〜溝口
二子橋が完成

玉川〜溝ノ口間の早期開通を目論見、玉川電気鉄道が建設費52万円のうち15万円を負担した。

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1925年中目黒〜玉川
中目黒〜玉川間(等々力線)の軌道敷設を出願

祐天寺、碑文谷、柿の木坂、等々力、下野毛を経由する計画だった。

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1925年砧〜狛江
砧〜狛江間(砧線)の軌道敷設を出願

途中に宇奈根、陣屋、本村、緒方停留場を設置、小田急和泉多摩川駅に隣接して狛江停留場を設置する計画だった。

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1921年三茶〜下高
世田谷〜下高井戸間3.1km(世田谷線)が開通

上町停留場、豪徳寺前停留場、宮ノ坂停留場、山下停留場、六所神社前停留場、七軒町停留場、下高井戸停留場が開業した。これにより現在の世田谷線区間の全線が開通した。

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1925年渋谷〜東北沢
渋谷〜東北沢間(代々幡線)の軌道敷設を出願

東京帝国大学の北側を通る計画だった。

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1921年三茶〜下高
三軒茶屋〜世田谷間2.1km(世田谷線)が開通

西山停留場、若林停留場、松陰神社前停留場、世田谷停留場が開業した。その後、同区間の営業キロは1940年代の三軒茶屋付近の線形変更を経て、2.0kmとなっている。

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1923年玉川〜溝口
玉川〜溝ノ口の軌道敷設特許を取得

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1918年渋谷〜天現寺橋・中目黒
恵比寿駅前〜天現寺橋間1.0km(開通時は広尾線、後に天現寺線と呼称)が開通

新橋停留場、豊沢橋停留場、天現寺橋停留場が開業した。特許書類によれば開通時は広尾線、東京横浜電鉄合併後は軌道線が玉川線と総称されるようになったが、東京都譲渡時の申請書類には天現寺線と表記されている。

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1920年玉川〜砧
玉川〜砧間2.2km(砧線)が開通

中耕地停留場、吉沢停留場、大蔵停留場、砧停留場が開業した。

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1921年三茶〜下高
世田谷(現:上町)〜下高井戸間の軌道敷設工事施行認可を取得

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