世田谷〜下高井戸間3.1km(世田谷線)が開通
1925年5月1日
上町停留場、豪徳寺前停留場、宮ノ坂停留場、山下停留場、六所神社前停留場、七軒町停留場、下高井戸停留場が開業した。これにより現在の世田谷線区間の全線が開通した。
三軒茶屋〜世田谷間2.1km(世田谷線)が開通
1925年1月18日
西山停留場、若林停留場、松陰神社前停留場、世田谷停留場が開業した。その後、同区間の営業キロは1940年代の三軒茶屋付近の線形変更を経て、2.0kmとなっている。
恵比寿駅前〜天現寺橋間1.0km(開通時は広尾線、後に天現寺線と呼称)が開通
1924年5月21日
新橋停留場、豊沢橋停留場、天現寺橋停留場が開業した。特許書類によれば開通時は広尾線、東京横浜電鉄合併後は軌道線が玉川線と総称されるようになったが、東京都譲渡時の申請書類には天現寺線と表記されている。
玉電への東京市電所属電動貨車・貨車の乗入れ開始
1924年3月17日
東京市電中渋谷線(青山線)中渋谷停留場から玉川線渋谷停留場の連絡線を介して乗り入れた。砂利連絡輸送は多摩川砂利合資会社からの委託により行われた。砧線大蔵停留場で東京市電の電動貨車・貨車に砂利が積み込まれ、玉電の乗務員が中 […]