世田谷線開通を見届けた架線柱と馬頭観音
2014年頃まで世田谷線では木製の架線柱が現役で使用されていました。特に上町1号踏切道から山下1号踏切道の間には、1924年12月建柱の表示がある架線柱が数本残っており、この表示が正確であるとすれば、開通の半年前に建柱されたことになり、敷設工事の実施時期を窺い知ることができる重要な存在でした。
1924年7月24日に着工した世田谷〜下高井戸間の敷設工事は、同年12月には架線柱の建柱まで工事が進んでいたことになります。翌年1月26日には世田谷〜前田(現在の山下1号踏切道付近)間を工事用仮線として使用するための許可願が提出され、2月24日には東京府から認可を受けています。
このことから、1925年2月時点では、少なくとも山下付近までの軌道は完成しており、工事用資材を積んだ電動貨車や無蓋貨車が乗り入れていたと考えられ、世田谷停留場が実際に終点だった時期は非常に短かったことがわかります。
木製架線柱は世田谷線開通の日を知る数少ない生き証人でしたが、100周年を迎える前にひっそりと姿を消していきました。
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山下3号柱の架線柱銘板「東急山下3 T13.12」/2008年6月6日 山下〜松原間
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世田谷線敷設工事中の1924年12月に建柱された木製架線柱(山下3号柱)/2008年6月6日 山下〜松原間
前田停留場予定地に残る「馬頭観世音菩薩」
現在の山下1号踏切道付近には、前田停留場が設置される予定でしたが、開通4ヶ月前の1925年1月26日の申請時に、現在の山下駅を設置する計画へと変更されました。
この山下1号踏切道の脇の軌道敷に「馬頭観世音菩薩」と彫られた石碑が建てられています。横には「大正四年四月廿日」「福宮林喜」の刻印も残っています。
馬頭観音は、荷馬車などを牽いていた馬が事故などで亡くなった場合に、その供養のため事故現場の路傍などに建立されることが一般的で、明治大正期に付近に在住した福宮林喜氏の所有馬が、1915年4月頃にこの付近で亡くなり、建てられたもののようです。
10年後の1925年5月に世田谷線が開通することになり、先に建てられていた馬頭観音は移動させずそのまま安置されたことで、現在も軌道敷内に残されているのではないかと考えられます。
この馬頭観音も世田谷線開通の日から100年以上電車の往来を見守り続けた生き証人と言えます。
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山下1号踏切道脇に建立された「馬頭観世音菩薩」と301編成/2026年1月14日 山下〜松原間
