東京急行電鉄 デハ200形(デハ201〜206号) 1955年〜1969年

東京急行電鉄 デハ200形(デハ201〜206号) 1955年〜1969年

 急増した自動車の台頭を見据え、車両の輸送力強化による路面電車の復権を企図し、新時代の路面電車として1955年7月に登場した2車体連接車です。基本構想にはアメリカのPCCカーが意識され、輸送力の確保だけでなく、車両の軽量化による高い加減速性能、超低床車体の採用による乗降のしやすさを追求するため、丸みを帯びた張殻構造や連接部への1軸台車の採用による徹底した超軽量化とともに、車輪径510mmの小型車輪の採用による超低床が実現しました。同車を製造した東急車輛製造では前年の1954年から、同じく張殻構造を採用した鉄道線用の5000系が製造されており、この設計を更に進化させる形で開発が進められました。乗降口には扉の開閉に連動した自動式のステップが設置され、ファンデリアの設置、内装への化粧板の採用など、当時最新鋭の技術が集められ、路面電車の将来性を示す車両となりましたが、特殊設計ゆえに部品も特注品が多く、メンテナンス面に大変な苦労を要したとされています。
 1964年に玉川線最後の新型車両として登場したデハ150形は、デハ200形より古いデハ80形の設計がベースとされ、駆動方式も並行カルダン方式から吊掛式にダウングレードしたことからも、デハ200形の使いづらさを窺い知ることができます。
 車籍上は1両扱いでしたが、運用上は2両編成として取り扱われ、運転士1名と2箇所の中扉に車掌が1名ずつ乗務する3名体制で運転されました。1967年に玉川線合理化と輸送力強化対策のためデハ150形から「連結二人乗り」2両連結化改造が始まりましたが、連接構造のデハ200形も1968年春頃から先頭側となる車体の中扉を出口専用に変更し、運転士1名、車掌1名の2名体制による運転に改められ、前面に「連結二人乗り」の標識が取り付けられました。
 特殊構造ゆえの保守性の悪さだけでなく、他形式と違うブレーキ操作で運転サイドからも敬遠され、経年わずか14年弱でありながら1969年1月から廃車が始まり、1969年5月の玉川・砧線の廃止により、戦前生まれのデハ70形が世田谷線に残されたにも関わらずデハ200形は全車両が廃車となりました。営業最終日5月10日の渋谷駅24:20発二子玉川園行き最終電車はデハ201号が、玉川線の最後の電車となった渋谷駅24:35発大橋行き最終電車はデハ204号が務め、玉電62年間の最後とともに短い生涯を終えました。
 廃止後にデハ204号が多摩川園、デハ206号が千葉県野田市の清水公園で静態保存されました。デハ206号は1980年9月頃に解体されましたが、デハ204号は多摩川園の閉園に伴い同年4月に高津駅の高架下に移設され、1982年に開館した「電車とバスの博物館」の展示車両となり、2002年に博物館の移転とともに宮崎台駅前に移され、現在も展示車両として静態保存されています。
 デハ200形の廃車からちょうど30年、世田谷線になって初めて導入された新型車両300系は、デハ200形と同じ2車体連接車となり、実際にその設計思想を数多く参考にして製造されています。デハ200形は時代を先取りし過ぎた車両だったと言えます。

玉電歴史年表・世田谷線データベースから

 玉電歴史年表世田谷線データベースからデハ200形に関する出来事を抜粋しています。


  • デハ201・202号が入籍

    デハ200形の第一陣として、東急車輛製造で製造された。


  • デハ203・204号が入籍

    東急車輛製造で製造された。


  • デハ205号が入籍

    東急車輛製造で製造された。


  • デハ206号が入籍

    東急車輛製造で製造された。


  • デハ88・90号、デハ202・203号が廃車


  • 玉川・砧線廃止に伴いデハ30形、デハ40形、デハ60形、デハ200形の全車両、デハ80形の一部が廃車

    最終日まで運転されたデハ30形デハ31〜36・38・39号、デハ40形デハ41・42・45・46・48〜52号、デハ60形デハ61〜65号、デハ80形デハ89・91〜94・96・97・99・103・108号、デハ200形デハ201・204〜206号が、営業終了翌日の5月11日付で廃車された。これによりデハ30形、デハ40形、デハ60形、デハ200形は形式消滅した。
    なおデハ34号は二子玉川園、デハ204号は多摩川園、デハ61〜65号はこどもの国、デハ91号は世田谷区総合運動場、デハ206号は千葉県野田市の清水公園でそれぞれ静態保存されたが、デハ204号以外の車両はその後解体され現存しない。


  • 田園都市線高津駅前にデハ204号が保存展示

    展示場所の多摩川園が1979年6月3日が閉園したため高津駅改札前の高架下に移設された。保存展示にあわせて「玉電200形保存記念乗車券」が発売された。「電車とバスの博物館」の開業は2年後の1982年4月3日となる。


  • 田園都市線高津駅の高架下に「電車とバスの博物館」が開業

    デハ204号は「電車とバスの博物館」の開業に先立ち、1980年4月4日に高津駅前へと保存展示されていた。


  • 田園都市線高津駅前でのデハ204号の展示終了

    デハ3450号を登場当時の姿に復元した510号の保存展示を行うため、デハ204号の展示が一旦終了し、高津駅付近の田園都市線高架下に移設・保管された。


  • デハ204号が「電車とバスの博物館」3号館に移設

    2月12日〜13日にかけて実施された。


  • デハ204号が展示された「電車とバスの博物館」3号館がオープン

    3号館1階の「玉電プラザ」に保存展示された。


  • デハ204号が高津から宮崎台に陸送

    「電車とバスの博物館」の宮崎台への移転に伴い、デハ204号が11月21日夜間から22日早朝にかけて高津から宮崎台へ陸送された。


  • 「電車とバスの博物館」が宮崎台で移転開業、デハ204号が再公開

    デハ204号はA館1階に展示された。


主要諸元表

1955年登場時のデータを掲載しています。

最大寸法長さ21,000mm×幅2,300mm×高さ3,635mm
自重22t
定員200(座席60)人
客室面積37.37平方メートル
集電装置PT52
台車動力台車:TS-302(2軸)
連接台車:TS-501(1軸)
駆動方式中空軸平行カルダン方式 歯車比64:37×37:13=4.92
主電動機TDK-827-A 直流直巻補極付 出力38kW
制御装置AB-54-6MDB
ブレーキ装置SME-D(電制併用非常弁付き直通空気ブレーキ)
電動空気圧縮機UH-10
点灯装置前照灯:2個 尾灯:4個 車内灯:20個(予備灯:8個) 方向指示灯:4個
製造所東急車輛製造