31・32号は日本車輌、33〜35号は田中車輛で製造された。
全長が若干延長され、乗車定員が変更されるなど22〜30号とは設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。
玉川電気鉄道 31〜35号 1925年〜1938年
東京横浜電鉄 31〜35号 1938年〜1939年
世田谷線が開通した1925年1月に登場した木造ボギー車です。5両が日本車輌、田中車輛で製造されました。車両竣工図表上の形式称号は「ボギー客車」で別仕様の車両と同様とされたため、玉川電気鉄道31号形と区分されている資料もあります。
この車両からオープンデッキのまま再び全長が伸び、定員が90人に増えるとともに台車、主電動機が変更され床面が低くなりました。日本車輌製は前面窓上に前照灯予備灯具が収められていると思われる小窓が2枚ついていますが、田中車輛製には装備されていないなど、製造所により若干外観に違いがあります。
16〜30号と同様、1927年には警笛をフットゴングからホイッスルに変更、1935年には運転速度向上により尾灯が取り付けられました。
同車の木造車体の老朽化が激しかったことから、1939年12月に川崎車輛で新製された鋼製車体に載せ替えられました。当初はそのままの車号を引き継ぐ計画だったとされていますが、車体載せ替えにあたって71〜75号に改番され、31〜35号としてはわずか15年弱で活躍を終えました。なお車体更新扱いではあるものの、71〜75号は1938年の東京横浜電鉄との合併後初めての新型車両でした。
玉電歴史年表から
玉電歴史年表から31〜35号に関する出来事を抜粋しています。
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31〜35号が入籍
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東京横浜電鉄と玉川電気鉄道が合併、同社の玉川線となる
合併時点の資本金は東京横浜電鉄が3,000万円、玉川電気鉄道が1,250万円。
東京横浜電鉄には電動客車52両、電動貨車5両、貨車13両が編入した。
また玉川電気鉄道時代は各支線に路線名が付けられ、渋谷〜天現寺橋間は天現寺線、渋谷橋〜中目黒間は中目黒線、三軒茶屋〜下高井戸間は世田谷線、玉川〜砧間は砧線、玉川〜溝ノ口間は溝ノ口線と呼称されていたが(同社による一部申請資料には天現寺橋〜砧間を玉川線と呼称している例もみられる)、合併前後から軌道線全線の路線名を玉川線に統一している。
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31〜35号が鋼製車体化、71〜75号に改番
※実施日が不詳のため、月末である31日で登録しています。
木造車体から川崎車輛で製造された鋼製車体に載せ替えられ、71〜75号(下一桁は新旧番号で一致)に改番された。
主要諸元表
1930年代の車両竣工図表に記載されたデータを掲載しています。
最大寸法 | 長さ11,886mm×幅2,286mm×高さ3,835mm |
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自重 | 15.95t |
定員 | 90(座席42)人 |
客室面積 | 18.29平方メートル |
集電装置 | トロリーポール |
台車 | スイングボルスターペデスタル発條式 |
駆動方式 | 吊掛式 歯車比63:15=4.2 |
主電動機 | TDK-524 直流直巻 出力37.9kW |
制御装置 | DB1 K-13 東洋電機 |
ブレーキ装置 | 空気ブレーキ:ウェスティングハウス SM-3 電気ブレーキ:DB1 K-13 |
電動空気圧縮機 | DH-16 |
点灯装置 | 前照灯:2個(予備灯:2個) 標識灯:2個 車内灯:8個(予備灯:4個) 運転台灯:2個 方向幕灯:2個 |
設計最高速度 | 46km/h |
製造所 | 31・32号:日本車輌 33〜35号:田中車輛 |