2024年8月27日
西太子堂駅前の道を北に進むと太子堂八幡神社の鳥居が見えてきます。太子堂八幡神社の創建時期は不明ですが、平安時代後期に源氏が陸奥安部氏を討伐する際に立ち寄ったとされ、それ以前からこの地にあったものと思われます。 例年10 […]
2024年8月27日
若林駅から環七沿いに南へ少し進むと若林天満宮があります。15世紀以前からこの場所にある若林天満宮は環七の拡張により参道が削られてしまい、現在はこじんまりとした感じがありますが、以前は多くの参拝者で賑わったそうです。菅原 […]
2024年8月27日
宮の坂駅下りホームに横付けされる形で保存されている緑色の電車があります。この車両は1990年の宮坂区民センター建設時に江ノ電から来た601号車です。元々は玉電の木造車デハ29号で、1953年に川崎車輛で製造された鋼製車 […]
2024年8月27日
ボロ市通り沿いにある世田谷代官屋敷は、1737年に建てられ、代々代官として世田谷を治めた大場家一族が明治維新まで使用した屋敷で、東京都の史跡指定されており、その中でも表門、母屋は国の重要文化財にも指定されています。
2024年8月27日
ボロ市通りは毎年1月15・16日と12月15・16日に行われるボロ市のメイン会場となり、期間中は延べ100万人近くの人々で大混雑します。文化文政までは旧大山道として多くの旅人が行き交いましたが、普段は代官屋敷を中心に商 […]
2024年8月27日
山下~松原間の線路沿いにある神社が六所神社です。六所神社は1584年に府中の六所宮(現:大国魂神社)を遷宮したのが始まりで、それ以前は吉良氏が戦国時代に北方の守備のために設置した赤堤砦があったと伝えられていますが、この […]
2024年8月27日
世田谷駅の裏に見える圓光院は、17世紀に創建された空海上人の作と伝えられる不動尊を本尊とする寺院です。創建から今日まで幾多の災害により本堂が倒壊したり、明治初めには廃寺になりかけるなど波乱万丈の歴史をたどってきています […]
2024年8月27日
世田谷線が環状七号線を渡る若林踏切は、環七唯一の踏切となっています。以前は遮断機が下りる通常の踏切でしたが、交通量が激しいことから、1966年に交通信号連動型に変更され、電車が信号待ちをする踏切になっています。2013 […]
2024年8月27日
西太子堂駅の北側を世田谷線にほぼ沿って走る緑道は暗渠となった烏山川です。烏山川は烏山付近の湧水を水源として、久我山付近で玉川上水から分岐する烏山用水と合流し、世田谷区内を縦断、池尻で北沢川と合流して目黒川となるまでの名 […]
2024年8月27日
松陰神社前駅から駅前商店街を北に進むと松蔭神社の鳥居が見えてきます。松蔭神社はその名の通り、幕末に活躍した吉田松陰を祀る神社で、松蔭が安政の大獄で刑死されたのち、1863年に高杉晋作や伊藤博文などによって現在の地に埋葬 […]