1927年12月17日
資本金は500万円、本社は玉川電気鉄道本社所在地と同一、社長は玉川電気鉄道専務(代表取締役)の津田興二氏が兼務。
1927年7月12日
二子橋を経由するため、玉川停留場が北側に移設された。
1927年4月23日
二子橋に接続するため、玉川線と砧線の合流部分から北側にカーブする形で線路を付け替え、玉川停留場の位置を移設する計画変更を行った。
1927年4月1日
46〜52号が汽車製造、53〜55号が日本車輌で製造された。初めての半鋼製車体となるなど設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。