※実施日が不詳のため、月末である30日で登録しています。9月3日の改軌に合わせ、名古屋電車製作所で15両が製造された。玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号四輪客車」とされている。
改軌により全42両が使用を終了した。電動客車、付随車は上田温泉電軌、駿遠電気に譲渡された。廃車日、無蓋貨車の譲渡の有無は不詳。上田温泉電軌に譲渡された車両は、1921年6月の青木線・別所支線(現:別所線)開通にあわせて電 […]
開通時から単線であった三軒茶屋〜駒沢間は、改軌後も引き続き単線で運転された。
改軌にあたり狭軌車両は流用されず、広軌用の車両が新たに用意された。
改軌に向け、広軌車両を収容するため拡張された。