1923年9月8日
群馬電力株式会社の電力を富士瓦斯紡績経由で受電することで、8日ぶりに全線で運転再開した。
1923年9月6日
東京市電気局から臨時に150kWの逆送電力を受け、昼間のみ運転再開した。
1923年9月1日
富士瓦斯紡績箱根発電所の被災により、駒沢変電所経由での電力供給が絶たれたため、玉川電気鉄道の軌道事業、電灯・電力供給事業とも運営できなくなった。
1923年7月11日
22〜24号と同形車だが、窓配置や細部の仕様が若干異なっていた。25号は蒲田車輛製作所、26・27号は鶴見木工で製造された。
1923年2月18日
開通から15年を経て渋谷〜玉川間全線の複線化が完成した。
1922年9月19日
枝光鉄工所で製造された。オープンデッキとなるなど16〜21号とは設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。