1927年4月1日
46〜52号が汽車製造、53〜55号が日本車輌で製造された。初めての半鋼製車体となるなど設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。
1927年3月29日
長谷戸停留場、鎗ヶ崎停留場、中目黒停留場が開業した。
1925年7月14日
玉川〜溝ノ口間の早期開通を目論見、玉川電気鉄道が建設費52万円のうち15万円を負担した。
1925年6月24日
蒲田車輛製作所で製造された。中扉が設けられ、乗降口が3箇所となるなど設計が変更されたが、玉川電気鉄道時代は固有の形式称号が定められておらず、車両竣工図表では「形式称号ボギー客車」とされている。