二子玉川〜砧間、二子玉川〜溝ノ口間を軌道法から地方鉄道法に変更して運行開始
1945年10月1日
二子玉川〜砧間は鉄道線としての運行開始にあたり砧線と呼称された。玉川線とは運賃体系が分離され、スタフ閉塞による運転となったが、従来通り玉川線の車両が使用された。
豪徳寺前停留場を移設、宮ノ坂停留場に改称
1945年7月15日
現在の上町3号踏切道付近から、現在の宮の坂駅の位置に移設された。移設前の停留場跡は現在も鉄道用地となっており、当時の面影を見ることができる。
【月日不詳】二子読売園が閉園し、二子農園として農産物を栽培
1944年12月31日
※実施月日が不詳のため、年末である12月31日で登録しています。戦時中の食糧不足により、社員の食料補給を目的としてじゃがいもやさつまいもなどの農産物を栽培した。